マレさんの聖書から神道を読み解く着眼点、とても面白い。
「希」という名前の字から乃木希典からとられたのかなとふと思いましたが、案の定そのようです。
このシリーズオススメです。
コオロギのために聖書は書き換えられたとは考えにくい。
コオロギについて。イエメンの厳格なイスラムはイナゴは旧約聖書通りに「食用可」としている。
一方でアシュケナージユダヤは昆虫食全般がダメとしている。
マレさんの聖書から神道を読み解く着眼点、とても面白い。
「希」という名前の字から乃木希典からとられたのかなとふと思いましたが、案の定そのようです。
このシリーズオススメです。
コオロギのために聖書は書き換えられたとは考えにくい。
コオロギについて。イエメンの厳格なイスラムはイナゴは旧約聖書通りに「食用可」としている。
一方でアシュケナージユダヤは昆虫食全般がダメとしている。
勤労感謝の日は
宮中の神事である
新嘗祭の日が、
敗戦後に書き換えられたものです。
もともとは旧暦11月(新暦の12月中旬〜1月上旬頃にあたる)の
2回目の卯の日でしたが、
明治6年に
太陰暦から太陽暦へ変わる際、
収穫感謝の行事なのに年を越してしまうので、
そのまま太陽暦の11月の2回目の卯の日を定め、それがいまの11月23日であり、そのまま固定されたという、なんとも強引なエピソードがあります。
十二支の起源をみると、
卯は”冒”に由来し、「おおいかくす」という意味があるそうです。
これは万物が成長して、地上を覆い隠す様子をあらわす。
『准南子』でも「卯は茂ることであり、盛んになることである」と記されている。
万物の勢いが盛んになって、生い茂り、地上を覆い尽くす意味が十二支の卯には込められている。
また旧暦十一月は子です。
子も”孳”という漢字に由来し、「うむ」「しげる」という意味になる。
『三礼義宗』では「陽の気がやってきて、しげり始める」とあり、『五行大義』では「陽の気が動き出し、万物が芽生える」様子と述べられている。
子の別号は「困敦」である。
“困”とは”混”、
“敦”とは”沌”を意味しており、
困敦とは混沌をさしている。
冬という時期は子に配当されており、陰の気が極まった状態(冬至ですね)これから陽の気が動き出す時季でもある。
これら由来を踏まえて考えると、本来の旧暦十一月(子の月)の2回目の卯の日というのは、その字の由来通り、
陰極まり陽がうごめく新たに始まる子の月に、
豊作・繁栄を願った日取りだったことが伺えます。
こういう意味を含む日取りに
収穫感謝の神事として新嘗祭は行われていました。
ことしは12月16日(下弦の月)が旧新嘗祭の日取りです。
果たしてこの日がどんな雰囲気なのか、
ぜひ感じてみて下さい。
第3回目の神道と量子力学を対照的な考察が興味深いです。
眼前にそびえる神山を天津神籬、駒ケ岳を天津磐境として祭祀された伝統的な神道による。
ここに昔は沢山の修験道の修行者がいたのだと思うとわくわくしてくる。
今回は時間がないのでロープウェイにて。
ふもとはちょうど雨が降ってきたのですが、上は強風に雪。
さすが霊山。
周りは全く見えなくて、遭難しそうでした。
今度は晴れている時に登拝したい。
観光客は半分以上外国人。
日本人少ないですね。