「ウクライナ」カテゴリーアーカイブ

ウクライナについての記事

どっち向いてホイ!!

 

国際金融資本によって作られたソ連、

そのソ連に酷い目にあわされた
ウクライナ人が

「もうあんな目には遭いたくない」

と忌み嫌う気持ちはわかるが、

現実としていま自分達の背後にいるのが
その自分達を虐げた国際金融資本であることに

気付いていない人もやはり多いのかなと
これまでの状況を見ていて思うこの頃。

なにせ日本の政治家ですら大半はわかっていないように見えるのだから仕方ないのかもしれない。

つい一昨日、親露派ではない西側地域の方から

「メディアは全く信用できない、あなたのように私たちも両側をよく見て判断する」

という返信が来たので、

やはり何かおかしいと感じる点は
多々あるらしい。

戦争をとにかくダラダラ先延ばしたい西側。
マーケットを閉じるわけにはいかないから当然。

武器を撃って儲けたい側のバイデンが
銃規制なんかするわけもなく。

とんだ茶番はまだまだ続きますね。

売国奴のキッシーを窓口に
どんどん税金は彼らに注ぎ込まれます。

あなたか叫ぶその「平和」って何なの?

平和を叫んで

戦争を後押しする人種が
よくわからん。

とらえてる平和の定義が
ちがうってことよね。

言葉とは概念でしかなく
捉え方や意味するものは
実際には人それぞれ。

言葉を共有していれば
分かり合えているというのが
そもそも大きな勘違いという
良い例かも。

だからこそ現場や空間が大事であり
感覚共有が必要なのだ。

フェイクパンデミックで生み出された
異様な空気に疑問を感じない人々は

同じくそれに続くよりセンセーショナルな
紛争という事象で巻き起こる空気に対しても
疑問を感じないのは当然のことかもしれない。

本質は同じなのにね。

昨年に池田清彦氏が著書で現代優生学に言及した中でナチズムの再来を危惧していたと記憶してますが
まさにその流れが続いているなと。
これぞ「戦々恐々」だと思います。

フェイクパンデミックで続いた抑圧に
よりインパクトのある出来事を被せると
人はそこにはけ口を求めるのは自然の流れ。

全部うまく計画されていることが
よくわかる。

ウクライナ大統領に思うこと

昨日蕎麦屋でたまたまワイドショーで
ゼレンスキーの経歴をとり上げており、

根っからの「役者」であることを
紹介していて失笑した。

と同時にウクライナが非常に心配になった。

役者出身ということは初めから傀儡であり、
大きなバックがいるということ。

そして本人には政治力もセンスもない。
もともとプーチンとは渡りあう力量がない。

交渉能力がない。
その結果がいまであり昨夜。

裏で操られている政治力のない演者が
戦の陣頭指揮をとるということは

泥沼化する可能性が高い。

収め所が見極められないからだ。

徹底抗戦を掲げている国に
日本も資金援助をすると発表したが
私はそれはちがうと思う。

「私はキエフにいる」という映像も
よく見るとあきらかな合成のやつも見受けられる。ウクライナ人は生来根強く持っている愛国心をだしにまんまと利用されているとしか見えない。

あっち側はこの10年くらいでうまく役者を仕込んできたのだろう。

ゼレンスキーを美化した形で見てしまう眼は
だいぶ曇っていると言える。

役者は基本的にどこまでも役者。
日本の政治家見ててもそれはよくわかる。

アホな政治家しか選べない日本人には
全く理解できないのでしょうが。

むしろ応援したくなるんだろうな。

つまり日本も同じ末路を辿るということを
如実に示しているいいケース。

カウントダウンが加速している。

よその事より足元ちゃんと見てないと
ほんとに大変なことになる。

チェルノブイリから32年

1986.4.26

チェルノブイリ原発事故から32年。

クリミア紛争が起きた2014年の夏にチェルノブイリ原発を訪ねた。

(キエフ以西は比較的安全でしたが、今思えば良く行けたものだなと改めて思う)

先日NHKの金正恩特番を見た時、

ウクライナの核兵器技術者の流出があったことを知り、あの一連の騒動の本命はここだったんじゃないかとプーチンの狡猾さを感じた。

今なお多くの国民の健康に影響を及ぼす原因は当然「放射能」だと思っていたが、

ここ数年の色々な経験を踏まえると

それだけでは片付けられない側面もあるような気がしている。

その地が「治る(おさまる)」には権力者による政治的な統治だけでは完全ではなく、その土地との繋がり、その土地の神様仏様とのつながりもうまくできていなければ全体がうまく治らない。

江戸300年の天下泰平はその良い例だと最近思う。

昨年は放射能とは全く別の点において

チェルノブイリと高尾山が自分の中で繋がる共通感覚があった。

「チェルノブイリ=放射能」は当たり前に持つイメージですが、実は問題はそれだけじゃないのかもしれない。

その地への愛着、畏敬の念、信仰、

非物質的な側面が人々へ与える影響は大きいです。

この事故の収束に尽力され亡くなった方々、

被害に遭われ苦しんだ方々へのご供養とともに

解決へのさらなる前進をお祈り申し上げます。