国際金融資本によって作られたソ連、
そのソ連に酷い目にあわされた
ウクライナ人が
「もうあんな目には遭いたくない」
と忌み嫌う気持ちはわかるが、
現実としていま自分達の背後にいるのが
その自分達を虐げた国際金融資本であることに
気付いていない人もやはり多いのかなと
これまでの状況を見ていて思うこの頃。
なにせ日本の政治家ですら大半はわかっていないように見えるのだから仕方ないのかもしれない。
つい一昨日、親露派ではない西側地域の方から
「メディアは全く信用できない、あなたのように私たちも両側をよく見て判断する」
という返信が来たので、
やはり何かおかしいと感じる点は
多々あるらしい。
戦争をとにかくダラダラ先延ばしたい西側。
マーケットを閉じるわけにはいかないから当然。
武器を撃って儲けたい側のバイデンが
銃規制なんかするわけもなく。
とんだ茶番はまだまだ続きますね。
売国奴のキッシーを窓口に
どんどん税金は彼らに注ぎ込まれます。
ちょうど今年で9年サイクル
的に一周するのだが、
2014年にチェルノブイリに行く流れがなければ
その翌月に御嶽山にも行ってないので
自分にとっては両方でセットなんだよな。
と昨夜改めて今の情勢の妙なタイミングを
感じた。
それがちょうど一周する年に
諸問題が私の中では
全てが繋がってきている。
信仰の破壊
国体の破壊
医療の破壊
あらゆる問題が一本で繋がりつつある。
まさに総括の年なのかもしれない。
サイクルってあるんだね。
そんなことをしみじみ感じたのでこちらのメルマガの方も稼働していきます。
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国際金融資本によりつくられた
ソ連という共産国。
明治維新以降の日本も
その支配構造は似たようなもの。
この観点で歴史の流れを見ると、
吉田松陰は結局のところ
処刑という名目の実質的には暗殺だったのでは
ないかなという疑問がクリアになっていく。
晩年に弟子の手もつけられなくなるほど
憤慨していたのは、
いまの状態を危惧していたのだろう。
傑物を育てた教育者は
確かな眼をもっているはず。
軍略家として得ている情報と擦り合わせた
実際に相手と対面して
奥底に感じたものから
相当の危険性を
感じたのだろうな。
いまの日本人が
魂を侵食されているのが
何よりの証拠になっている。
平和を叫んで
戦争を後押しする人種が
よくわからん。
とらえてる平和の定義が
ちがうってことよね。
言葉とは概念でしかなく
捉え方や意味するものは
実際には人それぞれ。
言葉を共有していれば
分かり合えているというのが
そもそも大きな勘違いという
良い例かも。
だからこそ現場や空間が大事であり
感覚共有が必要なのだ。
フェイクパンデミックで生み出された
異様な空気に疑問を感じない人々は
同じくそれに続くよりセンセーショナルな
紛争という事象で巻き起こる空気に対しても
疑問を感じないのは当然のことかもしれない。
本質は同じなのにね。
昨年に池田清彦氏が著書で現代優生学に言及した中でナチズムの再来を危惧していたと記憶してますが
まさにその流れが続いているなと。
これぞ「戦々恐々」だと思います。
フェイクパンデミックで続いた抑圧に
よりインパクトのある出来事を被せると
人はそこにはけ口を求めるのは自然の流れ。
全部うまく計画されていることが
よくわかる。
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。