今月も終わりですね

今月ももう終わり。
あっという間だったなー

と思いきや今月はめちゃくちゃ長かった。
最近の「普段」の倍以上はながかったな。
人様の感情とお付き合いしてるとずいぶん時間が長い気がした。
すがれる藁になるのはものすごく難しい。 

つかむ余裕すらないのだから。
でも少し光が差してきた。
各々がそれぞれの課題に気づける、

それが一番幸せなんじゃないだろうか。
今月は身体で覚えろ感が強かった。

賢くないから自分はいつも身体に叩き込まれるしかないのだけど。
大変勉強になる10月でした。
感謝🙏

神社散策

こんばんはセンシです。
今日はテスト勉強の息抜きに新横浜までぶらぶら。
特に目的もなかったのですができるだけ歩きたいと思い、周辺の神社散策に。

まずは新横浜駅から徒歩5分程度にある蛇幸都神社(蛇骨神社)。

ファミマの前にある小さい神社で由来もいまいちわからないのですが、掲示板にお祭りの告知があったので、地元で大切にされてる神社のようです。
蛇神様に龍神祝詞となぜか十種神宝祓詞でご挨拶。
ついでそこからさらに10分ほど歩いて、前から参拝したかった岸根杉山神社へ。

こちらは篠原八幡神社の管轄になっているので社務所はないのですが、拝殿ががんじょうそうな造りでした。

岸根杉山神社

手水舎の龍が愛嬌ありすぎ、、、

祭神は五十猛命、大山祇命。

五十猛命は大永5年9月(西暦1525年)伊豆の国の住人岩田五郎右衛門がこの地に移住した時に鎮守として勧請したとされる。

大山祇命は大正13年10月(西暦1924年)山王山に鎮守せし由来不詳祭神の大山祇命を合祀。
大山祇命がかなり謎な感じですが、八幡山含めこのあたりの山は興味深そうです。

麓にある二体観音、陶芸教室などが謎な雰囲気を醸し出していてカオスな感じでますます気になってきました。

折りを見て突撃したいなぁ。

小さな親切大きなお世話!?そんなことはないはずだ!!

こんばんはセンシです(^.^)

先日、通勤時間に新横浜駅前を歩いていた時のこと。

重たそうなカバンを持って階段を上がっているおじいさんに、すれ違いざまのサラリーマンが「持ちましょうか?」という感じで声をかけた。
私はすれ違いざまにその様子を見かけて「あ、すごいなー」と感心しながらすたすた急いでいました。
そしたらおじいさんが急にサラリーマンに怒鳴り散らしたのが後方から聴こえてきましたΣ(゚д゚lll)
「なんじゃと◯▽◼︎×!!!」
私も急いでいてすれ違いざまだったので何を言ってるのかわからなかったのですが、ものすごい大声でした。

おそらくおじいさんは本当に大変で苛立っていたのかもしれません。
サラリーマンもかなりびっくりしたでしょうね。

もしかしたら頭にきたかもしれません。
こういう時、

「小さな親切大きなお世話」という言葉が持ち出されますが、サラリーマンの気遣いは別に無用なものではないと思います。
結果的におじいさんに怒鳴られましたが、それはおじいさんが小さな親切を受け取る余裕すらないような状態であろうから。
おじいさんには届かなかったかもしれませんが、その姿勢は例えばその場に居合わせた私などには勉強となっていたりするので、
無駄ではないです。

あなたの勇気と行動が
別の何かに繋がっていく。
この世は因縁で繋がっているので、
無駄な親切はないと思うのですよね。

(ただし自分本位の親切じゃないことが前提になりますが、、、)
自分本位でない限り、親切は必ず次に繋がるはずです!!

全てはあなたの内側にある、外に求めるに非ず

パワースポットや神社仏閣巡りとか
スピリチュアルな方々は外に答えを求めがちな気がしてる昨今なのですが、
そもそも自分に関する全ての問題は自分の内側にしかない、ということにちょっとフォーカスしてみましょう。
その問題に対する答えも内側にすべてあるんです。
それはかの弘法大師・空海もおっしゃってることなのです、実は。
弘法大師・空海の残した「般若心経秘鍵」の序盤には次のようなことが説かれています。

それ仏法遥かなるに非ず。心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を棄てて何んか求めん。迷悟我に在れば則ち。発心すれば則ち到る。明暗他に非ざれば則ち、信修すれば忽ちに証す。

<口語訳>

仏陀の悟りは決してはるか遠くにあるのではなく、自分自身の心の中に本来存在しており、きわめて近くにあるものなのだ。同様に仏陀の説かれる真実の教えというものも、どこかよそにあるのではなく、自心の中にあるのだから、この身をおいて他にこれを求めても決して得られるものではない。
引用:空海「般若心経秘鍵」

この言葉は仏の道を目指す修行者に対してのみのものではなく、現代に生きる自分にも問いかけるものがあると思いませんか?

自分の道や、

幸せになる方法など
全ての答えはきっとあなたの内側にちょこんと居座ってるんだとおもいます。
私たちはそれに気づかないだけ。
足元に存在する答えをきちんと見ようとしていないだけ。
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