チェルノブイリから32年

1986.4.26

チェルノブイリ原発事故から32年。

クリミア紛争が起きた2014年の夏にチェルノブイリ原発を訪ねた。

(キエフ以西は比較的安全でしたが、今思えば良く行けたものだなと改めて思う)

先日NHKの金正恩特番を見た時、

ウクライナの核兵器技術者の流出があったことを知り、あの一連の騒動の本命はここだったんじゃないかとプーチンの狡猾さを感じた。

今なお多くの国民の健康に影響を及ぼす原因は当然「放射能」だと思っていたが、

ここ数年の色々な経験を踏まえると

それだけでは片付けられない側面もあるような気がしている。

その地が「治る(おさまる)」には権力者による政治的な統治だけでは完全ではなく、その土地との繋がり、その土地の神様仏様とのつながりもうまくできていなければ全体がうまく治らない。

江戸300年の天下泰平はその良い例だと最近思う。

昨年は放射能とは全く別の点において

チェルノブイリと高尾山が自分の中で繋がる共通感覚があった。

「チェルノブイリ=放射能」は当たり前に持つイメージですが、実は問題はそれだけじゃないのかもしれない。

その地への愛着、畏敬の念、信仰、

非物質的な側面が人々へ与える影響は大きいです。

この事故の収束に尽力され亡くなった方々、

被害に遭われ苦しんだ方々へのご供養とともに

解決へのさらなる前進をお祈り申し上げます。

小手姫神社祭典〜その②

社務所で直会が始まり、おじいちゃんの語りが再開された。

昭和29年、仙台のとある霊能者が御神託により出羽三山の宮司を月舘へ連れてこられ、いまの奥の院の場所で「きちんとお祀りしなさい」と言われたのが小手姫神社と出羽三山のおつきあいの始まり。

(ちなみにこの時、「今後日本で大きな災害が二度起こる」という御神託もあり、そのひとつが3.11だったんだろうと言われているとのこと)

出羽三山講中の世話人をしていたお父様を持ちながら、当時は全く神様なんて信じていなかったというおじいちゃん。

ところがその御神託を受け「お前がやりなさい」と26歳の時に小手姫様の御堂を綺麗に掃除する”小手姫様お掃除隊長”を引き受けることに。

全く手入れのされていなかった御堂の掃除を7人で三日間かけて行った。

そして最終日の三日目、掃除が終わり御堂の前で皆で酒を飲んでいると、姿は見えないけど誰かが御堂の参道をなんども通り過ぎる感じがしたという。その場にいた皆がそう感じたらしい。

月舘には小手姫様の伝説が言い伝えのみで残っている。残念ながら物的痕跡は残っていない。小手姫様が蜂子皇子を追ってこの地へ降り立ち養蚕を始め、機織りを始め、、、結局病でこの地に亡くなるまでの間、先発隊が派遣されており、その最北端の終点地が米沢だったとされているとか。

ところが米沢ではそんな伝説は一切残っていない。

おじいちゃんも実際に米沢へ赴き、米織の関係者を訪ねたりもしたらしいが痕跡は見つからなかったらしい。

米沢で育った私自身そんな話は一度も聞いたことがなかった。

ただ小手姫様の存在を知った時、その時代と地理関係から米織は小手姫様と関係があるのではないか?という考えはまっさきに自然と浮かんできた。

「わたしはね、小手姫様を若い世代に繋げなきゃいけないんだ。今日は米沢から来たあんたに繋がった。有難う。」

小手姫伝説に携わって来た長老は御歳92歳。

帰り際までずっと小手姫様のことばかり口にしていて、周りが「帰るの?杖は?どごさ置いだの?」と心配して何度も尋ねているのに、「わたしはね次に繋がればいいんだ。宜しく頼んだよ。あとはみんなで勝手にやってくれ」と言い残し去っていった。

おじいちゃんのあとを引き継いで世話人をしてるSさんは

「あの人は小手姫様がくっつくと周りが聞こえなくなるんだよ」と苦笑いしながら面白いことを言った。

たしかにこのおじいちゃんは小手姫様に動かされている。

Sさんは岩手の立山とのご縁からいまの宮司さんが着任する経緯を話して下さった。

こじんまりとした月舘という集落、そこで今尚厚く信仰されている小手姫様を知り感動を覚えました。

蜂子様とお会いする前の小手姫様とのご縁と思っていたけど、どうも小手姫様とつながるための出羽三山だったような気がしてならない。

そういえば震災後、初めてガイガーカウンターを下げて飯舘を抜ける時、道に迷ってたどり着いたのも月舘だった。

「月」というその響きもあり、月舘いいところだなーと思った記憶がいまになって蘇ってきました🌙

小手姫神社祭典〜その①

4月8日(日)は月舘の小手姫神社の祭典へ初参加。

昨年の出羽三山秋の峰へ参加するちょうど1ヶ月前、南相馬から福島へ向かう途中ナビで普段と違うルートを通っていたらたまたま目に止まりこの神社の存在を知った。

「蜂子様に会いにいく」というテーマが目前に迫っていた中、その母君の祀られる神社に辿り着いたのはなんとも奇遇。

宮司さんに「毎年、出羽三山の宮司と山伏に協力してもらい祭りをやってる」と教えて頂き、初参加。

奥の院にて小手姫神社の宮司さんと山伏2名が本殿へ入ると祭典スタート。

先ほどまで気持ちよく晴れていたはずなのに祭典が始まった途端、少し柔らかいヒョウがバラバラと降り出してきて、野ざらしの参列者は皆少し戸惑う。

開始時間が近づくにつれてどんどん空気が冷えてきたので、祭典で何か起こりそうだなと思っていたら案の定だった。

降ったり止んだりをしばらく繰り返し、奉納の棒術で「次、龍の型」とアナウンスが入るとそらがぱっと晴れて太陽がキラリとお出まし。

しばらくするとまたヒョウが降ってまた止んで、、、

祭典中に目まぐるしく変わる天気を、宮司さんは締めの挨拶で「一年分の四季を味わうような」と表現された。

昨年峰中で体験した出羽三山のくるくると変わる天気にとても似ている感じがした。

さすが出羽三山。

そんな祭典だった。

何はともあれ無事に祭典が終わり席を立とうとすると、ひとりのおじいちゃんにいきなり声を掛けられる。

「あんたどこから来たんだい?去年も来てた郡山の人かい?」

「米沢からです」

「米沢!?あそこも織物があるだろ?米沢は小手姫様の先発隊が養蚕を伝えてなぁ、、、」

これはなかなか話が終わらないパターンだと直感した(笑)

しかしこのおじいちゃんが月舘の廃れていた小手姫伝説復活の中心人物だということが、この後の直会で判明する。

そして山奥の集落にひっそりと佇む小手姫様が月舘で厚く信仰されていると知ることになったのでした。