山伏的感覚からみる高尾エリアの所感

土曜日は高尾駅で中央線を降りて、ふと向かいの中央本線松本行きに反射的に飛び乗ってしまった。

そして相模湖の与瀬神社から孫山へ入り明王峠を目指した。

相模湖駅で電車を降りた瞬間ふっと余計なものが抜けて軽くなったのを感じた。この感覚は高尾山通いしてる今月にはなかった感覚だった。でもこれが本来のお山の感覚。

山に入ればその気は身体にすっと入り込んでくる。それを全身に循環させれば山を登っても疲れることはほとんどない。

この感覚が戻ってきたことで、高尾山での妙な違和感は確信へと変わって行った。

やはりお山の力が弱いんじゃないだろうか??

それはやはり山が汚れているからにほかならない。

2014年に御嶽山で起きた噴火。あの年が実は初めて御嶽山を登拝した年だった。

そして翌年以降の山修行と比べてよく思い返してみると、あの年の御嶽山は見た目からして汚れていた。ゴミがいっぱい落ちていた。

「大切なお山なので、ゴミを見つけたら拾おうね。ごみ袋持ってきてね。」

という案内通り、下山時は沢山ゴミを拾った記憶がある。信仰者からすればあってはならい状態だった。

そして汚されたお山は噴火した。ゴミという観点から見てもあの噴火は致し方のないことだと感じた。私たち人間が招いたようなものである。

高尾山はミシュランで有名になり、観光客が激増してから明らかに汚されていった。それ以前との比較は、もともと八王子在住の学生だった私にとってははっきりとわかるもの。

そこから交通緩和のためにお山に大きな穴を開けてしまった。山岳信仰は山自体が御神体なのだから、そんなことを本当にするのか信じられなかった。しかし容赦なく土手っ腹に風穴を開けてしまった。

交通緩和は見事に果たされ、その功績を考えれば今後の生態系の観察は必要かもしれないが工事はそんなに悪いものではないのではという意見もある。

一方で工事によって高尾山各所の湧き水の出が悪くなったなどの報告もある。(個人的にはそれが現状どうなってるのかを知りたいのですが)

自然界、生態系の変化は長期的に見なければわからないのかもしれない。それは複雑な循環・連鎖であることもそうだし、そもそも自然というより野生は逞しい。思いっきり削られたそのお山にはトンビも沢山飛んでるし、猿もいっぱい遊んでるし、木々や植物もたくましく生きている。

それでも私たちのような人間からすればすでに大きな欠落が感じられる。何かが根本的に欠けてしまっている。本来のお山ではない。

さきほど出羽山伏の大先達に暮れの挨拶メールで、お礼とともにこの高尾山の違和感をぶつけてみた。そしたら「その通りだよ、あそこはもう混ざるものがない」という答えが返ってきた。

納得いくと同時に混ざるものがないという言葉が頭に響き自然と涙が出てきて止まらなくなってしまった。15分くらい泣いていた。何となく感じ続けてきたものが言葉で肯定されなんとも言えない哀しみが込み上げてきた。

実はこの哀しみは自分の場合はもっと遡ることができる。山形の母の実家で似たような哀しみを経験していた。

祖父母の家は里山の部落農村。自然あふれるこじんまりとした里山で山奥にお不動様がいて三が日に雪道の中お参りにいっていた。いわば私の山岳信仰の原点がここになる。

ところが小学生くらいのころにこの地域に高速道路が建設され、道路が左右を囲む山を横に突っ切ってしまった。

この時、子供ながらに何とも言えない哀しみを心の底で感じてきた記憶がはっきりとある。

親や祖父母には何も言わなかったと思うけど心が痛んでいたことは覚えている。

その哀しみと高尾山があわさって涙が出てきたのだろう。

亡くなった命は二度と戻らないかけがえのないものだ。

それと同時に自然も破壊すればかけがえのないものを失うことになる。

このお山の欠落してしまったものが時間が経てば戻るものとはあまり考えられない。(生態系の回復、再構築で変わるのかもしれないけど)

そんなわけで山伏の感覚からすれば高尾山は大きなものを失ってしまった、と断言しておきます。

このことに対してどうしたらいいのか、何ができるのかは自分のこれからの課題かもしれません。

この「ほかの山と高尾山の感覚の違い」が気になる方は、ぜひ一緒に山を登りましょう。

八王子城址から歩く修験道の道

2017年12月17日。八王子城址〜富士見台〜狐塚峠〜富士見台〜蛇滝口(千代田稲荷神社まで)

行くたびに深まる高尾山の魅力。

今月は毎週、法螺貝の練習をするために高尾山にお邪魔しています。

毎回落合から登り蛇滝口へ降りるパターンが続いていたので(それは法螺の練習場所を見つけたからなのですが、、、)今回はルートをまったく変えてみた。というか行きの電車の中で八王子城址方面の地図を見ていたら八王子神社が目に入り、八王子城址ルートに急遽決定。

実は近所でよくお参りにいく八杉神社という神社があるのですが、そこが地元で信仰されてる杉山神社と八王子神社を合祀した神社であり大変お世話になってるとこなのです(そこは境内に羽黒大明神や三島大明神も祀られています)

ただ行く前に若干悩みました。

なぜなら八王子城址は神霊スポットでも有名ですからね。そして実際に経験談ありなのです(汗)

大学時代は八王子だったため八王子城址もサークルの友人と行ったことがあったのですが、物の見事に霊障にあいました(苦笑)

皆で「嫌な感じがあった」と話している数日内にメンバーの楽器が壊れていくという怪奇現象。私もギターが倒れ買ったばかりのフルアコのピックガードが折れるという惨事に。

ましてや今では修行なんぞをしてるために余計に見えない人たちは群がってくるリスクが高い。。。ちょっと迷いつつも八王子神社は参拝したいと思い行くことを決断。

高尾駅北口からのバスで約10分の「霊園前」を降りて八王子城址を目指すと石材店や仏具店、お寺がずらりと並んでいる。霊園だからこういうお店が並んでいるわけでもないという感じがした。やはりここは信仰のお山っぽい。向こうにそびえ立つ山がそう感じさせた。

奥の一番高いのが城址跡だとは思いも寄らず、、、

出羽三山へ行った時の湯殿山もそうだったが、修験の山というのは独特の雰囲気が山から流れてくる。冷たい空気と腹底に響くような熱い力。

八王子城址の鳥居をくぐると一気に登りになって驚いた。まさかさっきそびえ立ってた山の頂上に城跡かあるのか、、、??と少し面食らってしまった。こんな山の上に城を作るとはかなりの労力。それくらい本格的な登り道になっている。

八王子神社手前で小高い法螺スポットを発見。 続きを読む 八王子城址から歩く修験道の道

高尾山にお尋ねしたい

今月から週末に高尾山に入り法螺貝を吹いてます。

ある程度形になるまでスタジオとかで練習しようと思っていたけど早い段階で「これは楽器ではない」と理解し、山に教えを請うことにした。

今日は首にかけて山を歩いていたら

「やっぱり音が聞こえたの気のせいじゃなかった!」

と度々すれ違う人に声をかけられた。

遠くまで響くのはわかっていたけど、

ほんとに聴こえてるんだなと改めて驚きました。

そして下手くそな音が丸聞こえになってることに恥じらいも込み上げる(苦笑)

いっ時流行りだしたフィボナッチ数列。

自然界のあらゆるものがこの数列をもとに形作られ、成長していく螺旋構造を示す。

1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89…

フィボナッチ数列が易経「河図」の天数と同じ55を通過するのもおもしろい。

この自然界の法則がシンプルに形に現れている法螺貝は、そこから共鳴して放たれる音もまた自然界の法則をそのまま表している。

だから山々や自然と共鳴しながら無限に響く。

螺旋構造による循環であり

海と山の循環であり

自然界の循環である。

たまたま行きがけに読んでいた維摩経の本に仏の弟子の善徳長者が維摩居士にこう諭される場面があった。

「お金には限りがあるから施すなら誰にでも平等に施せる法を施したほうがよい」 続きを読む 高尾山にお尋ねしたい