1986.4.26
チェルノブイリ原発事故から32年。
クリミア紛争が起きた2014年の夏にチェルノブイリ原発を訪ねた。
(キエフ以西は比較的安全でしたが、今思えば良く行けたものだなと改めて思う)
先日NHKの金正恩特番を見た時、
ウクライナの核兵器技術者の流出があったことを知り、あの一連の騒動の本命はここだったんじゃないかとプーチンの狡猾さを感じた。
今なお多くの国民の健康に影響を及ぼす原因は当然「放射能」だと思っていたが、
ここ数年の色々な経験を踏まえると
それだけでは片付けられない側面もあるような気がしている。
その地が「治る(おさまる)」には権力者による政治的な統治だけでは完全ではなく、その土地との繋がり、その土地の神様仏様とのつながりもうまくできていなければ全体がうまく治らない。
江戸300年の天下泰平はその良い例だと最近思う。
昨年は放射能とは全く別の点において
チェルノブイリと高尾山が自分の中で繋がる共通感覚があった。
「チェルノブイリ=放射能」は当たり前に持つイメージですが、実は問題はそれだけじゃないのかもしれない。
その地への愛着、畏敬の念、信仰、
非物質的な側面が人々へ与える影響は大きいです。
この事故の収束に尽力され亡くなった方々、
被害に遭われ苦しんだ方々へのご供養とともに
解決へのさらなる前進をお祈り申し上げます。