百日潔斎で気付いたこと

百日潔斎。

その昔、O嶽では百日の潔斎をしなければ山に入ることができませんでした。

魚や肉、匂いの強い野菜などを避け、100日間、毎日禊をしてからようやく入山が許されたわけです。

例えば九州など遠方からの場合はそこまでの道のり、そこから百日潔斎、そして下宿から山頂を目指していたのだから百日どころの話では済まない。果てしなくたいへんな話だったに違いありません。

さて、今年はじめて百日潔斎に取り組むにあたって自分なりに条件を設定してみました。

・四つ足の肉(鳥をふくむ獣肉)

・五蘊(ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ニラ、ヒル)

・朝はバケツで禊

昔の人が行なっていた潔斎は日常使う食器からまず新しくしたりもっと厳格なものであったのはいうまでもないですが「どこまでやるかは自分次第」というのが先輩方からのアドバイスなので今回はこの内容に設定しました。俗世で普通の生活をしながらだとこれくらいでもなかなか苦労はあります。

山伏の山がけがどの程度激しいものか不明だったので4月からほぼ月一で山を地下足袋で走る訓練を開始(実際はそれほど走る必要はなかった)。もともと痩せ体質なので極端に筋肉が落ち登れなくなるのは本末転倒と思い、魚と卵は可に。

匂いの強いものについては諸説あるのですが何かで調べた上記の5種類をひとまず対象にすることに。これだけだと大したことないようにも思うけど、ネギ、ニラ、ニンニクは栄養価も高く現代の食事には当たり前のように入っているものなので一人暮らしとしてはこれだけでも相当苦労することになりました。

百日潔斎の間、基本的にお酒は可にしました(山修業の1週間前からは禁酒とした)。

普段飲まなくても別に苦ではないのと、諸々の付き合いも考慮。飲みの席に入れども「肉が食べれません、ネギもニンニクもダメなんです」という、とても面倒くさい人にならなければいけないほうが自分にとってはよほど大変な事態だったりするからです。

特に修行仲間と大好きな焼鳥屋に行き、焼鳥を眺めながら飲む「焼鳥センター行」という修行は特に辛酸を舐めるような思いをしたが、それについてはまた別に記します。

4月末に潔斎を初めてひと月くらいの時、師匠に「やせたんじゃない?山登れなくなったら本末転倒よ」と指摘されてからタンパク質は意識的にとるようにしました。肉がダメとなると、意識しないと炭水化物に偏りがちになってしまうと気付いたからです。

タンパク質の中で卵はどうなのか疑問でしたが、よくよく考えてみると最近の卵は無受精卵。まだ命は発生していないので、牛乳と同じ肉体の一部のおすそ分けと考えられ、殺生にはあたらないことに気付きました。

より精神を研ぎ澄ますなら動物性タンパク質も断ったほうがいいらしい(仙人修行の本などを読んでそういう結論にいたった)。

百日潔斎が終わって振り返ってみると、気づいたことがいくつかあります。

まず1つ目。

悪いものや嫌なものをもらいにくくなった、かつ抜けやすくなった。言い換えれば身祓いがやりやすくなった。今までよりも身体が軽い日が多く、とても気持ちよかったわけです。これは大きな発見であり、重要な事項。気になるのは潔斎を終えてから、再び肉食を開始し、身体が重くなりやすいようだったら一生潔斎するハメになるのではないかという不安でちょっとしたブルーに入っています。

気づいたこと2つ目。

周りの臭いに敏感になった。

通勤時間帯の電車の中の臭いが臭すぎるようになってしまった。これはおそらくネギやニンニクを抜いたからです。いかに普段私たちは臭いの強いものを食べているかがよくわかる結果になりました

気づいたこと3つ目。

酒に酔いにくくなった。

これはお酒は可にしていたから知り得たこと。もともとそんなに酒には強くはない上、潔斎で食べられるものが制限されるとつい酒を飲むしかなく悪酔いしそうなイメージが強かったのだが、潔斎中は飲み過ぎても悪酔いすることが極端になくなりました。おそらく肉を抜いたことで消化器系の負担が軽くなり(特に肝臓)アルコール分解を始めとする消化作用がかなりスムーズになったためと思われます。これは劇的に変化を感じました。

気づいたこと4つ目。

天に想いが通じやすくなった。

なんのこっちゃ?と思うかもしれませんが、神様に想いが通じやすくなったのです。夏のシーズン、修行を始め毎月山へ行った中で天候が微妙な回が多かったのですが、そのいずれも最終的に晴れました。もちろん

それは前の晩に拝んだりとそのつどお願いしてるわけですが、あとから考えると百日潔斎が一種の長期的願掛けのような効果をもたらしたように思いました。あまりにも今年の夏山の天気はドラマチックでした。

7月のクラスメイトといった金峰山も微妙な天候の中、最終的に晴れたり。八月のO嶽の山修業は台風接近の中、ご来光が拝めてしまいました。「潔斎、様々だ!!」と感じその後のD羽三山まで潔斎を続けたら引き続き素晴らしい天気に恵まれ、、、

昔の時代劇のワンシーンで、長屋の井戸水をかぶって仏様やお地蔵様に願掛けするようなシーンがありました(最近はないような気がします)。自分も水行は毎日やるので実感があるのですが、こういう少し心身に忍耐を必要とする願掛け行為はそれなりに天や神様と通じやすくする効果があると感じます。水は滝行があるように自然エネルギーや波動との媒介役には一番最適な物質です。

特定の食べ物を禁ずる百日潔斎も似たような効果があるように今回は実感しました。

とまあこのような形で初の127日潔斎はいろいろと学びの多いものとなりました。やはり実際にやってみて、自ら体感することがとても大切ですね◯

山伏修行と百日潔斎が無事に終了

8/26〜9/1の日程で出羽三山の秋の峰入へ行ってきた。

秋の峰入は出羽の山伏になるための最初の修行、通過儀礼。

1月のとあるイベントでとある先達にお声をかけさせていただいたら

「ん?山形出身なのか?…だったら山伏になれ!秋の峰の紹介状書いてやるから」

うーん、いきなりこのおじいちゃんは何を言い出すのやら、、、せめて「一度体験修行に来い」ぐらいから始めて欲しい。そういう心つもりは多少準備していたのだが、、、

初めて会うなり「お前山伏になれ」である。

でもこの時、あきらかに相手は本人というより後ろの誰かが話てる感じはあった。誰かが降りてる感じは間違いなかった。後ろのだれかはこちらをすでに見抜いてた、、、!!(あとで後ろの人は先祖のおじいちゃんらしいことが判明する)

「え!?でも実は自分、別の山で修行してまして…師匠がなんと言うか…」

「そんなの関係ねんだよ!そんなこと言ってっから今の山伏はダメなんだよ!」

(うわー、、、関係ねえ!とか言われた。ダメとか言われてもオレまだ山伏じゃないし)

「う、うけたもう!」

わずか1分ほどのやりとりでいきなりそういう話に。

地元の霊峰であり、神域の原風景的な出羽三山神社は確かに惹かれるものがありまくり。でも果たして師匠に何と言われるか。というより御嶽の神様が許してくれるのか。

そんな不安を抱えつつ、とりあえず出羽に行く許可を神様にいただけるように今年の夏山はしっかり臨もうと初めた百日潔斎。

初対面の人間にいきなり紹介状が出るのか半信半疑だったけど紹介状を書いて頂いたからなのか申込用紙が届き、現在なる審査の上参加することに。

そこから山修行の直前に師匠に相談。意外にもあっさり「うん、いいんじゃない?良い武者修行になると思う」と許可が降りた。これも潔斎のお陰としか思えない。昨年あたりだったら絶対に「あんたにはまだ早い。自分の修行をしっかりやりなさい」と言われるのがオチだったはず。

御嶽では台風接近の中、奇跡的にもご来光を拝めてしまい、これまた潔斎様様だと痛感して秋の峰まで潔斎を継続することを山で決意。

秋の峰終了までの計127日の潔斎となった。

結果的に潔斎のお陰で今年の夏山はとても素晴らしい体験を沢山させていただいたことになる。

そして潔斎自体にもいろいろな学びと発見があった。

今回の夏山修行は何が一番辛くて大変だったかというと、それほど大変なことはなかった。一番大変だったのはこの百日潔斎だった。日々の修行が一番大変だと初めて知った四年目の修行人生。