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蜂子皇子とつながる

先週、蜂子様とつながった件で昨年の投稿を見返してみたら、昨年の峰入り最終日の出来事が記されていなかったので改めてここに書いておこうと思う。

以下、Facebookの投稿を少し編集したものです。

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今回(2017年)の山伏修行は出羽三山を開山されたとする蜂子皇子(能除仙ともいわれる)にお逢いするのが個人的なテーマのひとつだった。

そのきっかけは7月末。

南相馬を訪ねていた時、

仮設の自治会長さんがさあ帰ろうという時に

「明日から出羽三山にお参りいくんだけど足の指がヒクヒクしちゃって、、、」

3年前くらいからのご縁だけど出羽三山講とはつゆしらず

これは不思議な巡り合わせだなと思いながら、

きちんとお参りできるように施術させていただいた。

そしてそのあと福島市へ向かう途中、Googleに案内されていつもと違う道を走っていたら通りがかったのが月舘。

そこでポーンと目に入ってきたのはなんと蜂子様の母君を祀る小手姫神社だった。

調べてみるとその昔、都から北へ逃げた蜂子様を追ってきた小手姫様はこの地まで辿り着くも、蜂子様には出会えずに生涯を終えられたという。。。

ここから私の秋の峰に向けた「テーマ蜂子」がスタート。

御由緒や歴史的背景を調べて

蜂子様のことを考え始めたら、

とても力強い仏の道を歩まれていたように感じ

日に日にそれを肌で確かめたくなった。

そして山へ入って感じた蜂子様はやはりお坊様だった。

実はそんな蜂子様を意識して修行に赴いた自分に割り当てられた今回のロッカー番号(?)は奇しくも「88」。

峰中の最終夜、一般人も参列する八朔祭では

蜂子神社の前でハプニングにみまわれた私は

徹底的に禊ぎ祓いを受け、、、(夕食にお酒が振舞われ飲まされ過ぎたのです、、、苦笑)

さらに、

秋の峰入りが終わり下宿で解散した後、驚くことが起こっていた。

翌日になってスマホを見返して気づいたのだが、解散直後にラインで「8888」という謎のアカウントから友達追加されていたのである。

これは、、、もしや蜂子様からのオッケーサイン???

88で始まり8888に終わる。

なんとも不思議なお山修行なのでした。

下宿で最期の儀式が終わり解散したのがちょうど19時過ぎ頃。

今回の峰入りで頂いた番号は八十八。スタトートから胸が踊った。

峰入りの一月前にたまたま訪れた小手姫様の御朱印。せっかくなので蜂子様と並べようと誓う。

峰中、空き時間に入手できた蜂子様の御朱印。

蜂子様から飛んできて

今年も8月25日(土)から9月1日(土)にかけて出羽三山の秋の峰入りが行われていた。

行われていた、と書いたのは今年自分は参加しなかったから。

今年は期間中にどうしても外せない用事が一日だけ発生したため不参加になったのだが(そのかわりに八海山登拝を行った)、なんと遠くから陰ながら参加することになってしまった。

なぜならば、、、、

蜂子様からのアウトソーシング依頼が来たから。

「今日から峰入りだな、良い峰入りになりますように」

と祈りつつ眠りについた土曜の夜から、実は意識がずっとお堂の蜂子様の前に座っていた。

で、翌朝、朝の勤行をしようと神棚の蝋燭をつけるやいなやドロドロと蝋燭がいきなり溶け始める。

え、、、!?えぇっ、、、!?

ここ半年くらい自宅での蝋燭の祓いは勤行中も発生せず落ち着いていたのに、ここにきて久しぶりにガチなオート祓い発動。

八海山から帰ってきてまだ間もなく、まだ心身ともに綺麗だし(のつもり、笑)全く身に覚えがないこの突然の祓い。

一体なぜ!?何が起きた??

と鳩が豆鉄砲くらったまま拝み始める。そしていつものように神様系が終わり修験系へうつると、、、ピンときた。

「あ、これ出羽三山からきてる、、、?そういや昨夜からずっと蜂子様の前に座ってたもんな」

と気付いたら蜂子様が

「お前も祈れ」

、と。

げ、マジか!!

これはどうもお経の地の祓いじゃないとダメなやつ達らしい。神社系の峰中は基本的にお経は一切あげない。しかしそこで見守ってくださる蜂子様こと能除仙のお坊様はお経であげないとダメなものも沢山あるってことらしい。(去年もそこは強く感じた)

昨夜は峰の初夜の勤行。

下界から上がってきた修行者たちの最初の禊だからそりゃあドロドロしてるのも仕方ない。恐ろしいほど色んな穢れのごった煮だ。

お経で祓いたいタスクがあるからお前も手伝え、そういうことなんだと理解した。

蜂子様とつながってる。。。

昨年は「蜂子様へ逢いにいく」がテーマだったのだけど、しっかり蜂子様とつながってたんだなと嬉しく思う反面、

行者ってこんな感じなのかー

とちょっと驚きも。

だってはるか向こうの蜂子様からアウトソーシングで依頼されるとは!!

なんか会社みたいだ。上司と部下と変わらないじゃないか。出来ないと怒られるのか?査定が下がるのか?

なんてぶつぶつ思いながら任務にあたる。

九條錫杖の祓いから始めり般若心経、そして観音経へ。そういえば同期の一人は西日本豪雨の活動で奔走してた。そこの仏様も付いてきているようだった。そのご供養もしなければ。

そして祓いとご供養をしながら蜂子様がまたポツリと一言。

「今年は大変だ」

とな。

どうも一週間ずぶ濡れの行らしい(後に実際そうだったことを知る)

最後は陀羅尼陀羅尼だらにダラニ、、、、

一通り終わると蝋燭も落ち着き、うん、任務完了◎

とはいえ峰中は安心できないと思っていたら、翌日もやはり突然ドロドロドロドロと蝋燭が溶けはじめまたアウトソーシング開始っ!!

毎日三山拝詞などあげてから修験で祓いが一週間続いた。その間もちろん終わったはずの潔斎も復活せざるを得なかった。それが礼儀ってもんだろう。

もともと御嶽に向けての百日潔斎後、参加しないけど峰中終わるまで自分も潔斎だけ続けようかなと考えたりもしつつ、八海山の山小屋で肉が出てきてしまったので「強制終了になったから、まぁいっか」と完全離脱のつもりだったのですが、、、やはりこの世界はそう甘くはない…

しかし貴重な修行をさせて頂き、蜂子様に感謝。

来年からは参加いかんに関わらず、峰入り終わりまで潔斎で臨むことにしようと考えている。なにせ蜂子部長からアウトソーシングの指令があるかもしれないから、苦笑

小手姫神社祭典〜その④

小手姫

大伴連糠手(父)

錦代姫(娘)

祭典の神拝詞では小手姫のほかに父の大伴連糠手と娘の錦代姫もあわせ三神で拝した。

直会が終わり、小手姫様へ挨拶して帰る前にひとつ寄り道をした。

大伴連糠手にまつわる場所とされるお不動様へ案内された。

案内していただいたのは茨城のNさん。

実は昨年、小手姫神社を訪ねた時に「うちに毎年くるN君て子がいて、秋の峰行く予定だよ」と宮司さんから教えていただき峰中に会えるかなと楽しみにしていた。

結局都合で参加できなかったらしく、峰中で会うことはできなかったけどこの日ついにお会いすることがかなった。

ここへ来れば会えるんじゃないか、そんな氣はしていたのだけど。

Nさん曰く「忙しくてとても行けるような状況ではなかったんですけど、やっぱり今日は行かなきゃいけない気がして無理やり来ました、、、」

祭典から直会までの出来事を考えると、そんな感じになるのも致し方ないとおもう。

小手姫様とおじいちゃんは妙な引きの強さを持っているんだもの。

そしてこの日ようやく出会えた。

案内されたお不動様ははいつも気になりつつも通りすぎる磨崖仏の場所だった。

Nさん曰く、裏に管理人さんの家があるのだが、とある事件でお亡くなりになられたとか、、、妙に気が進まなかったのはたぶんそのせい。。。

一緒にお不動様を拝んだあとNさんは色々教えてくれた。

小手姫様が使ったとされる晒し石がある川の少し下流に佇むお不動様。

お不動様だけにここら辺にかつては滝の行場があったんじゃないかともいわれているらしい。

また、ここにもともとあった御本尊はその昔ある人に持ち出され、米沢と福島の県境手前にある某不動尊に今はあるといういい伝へがあるらしい。

その不動尊は昨年妙に氣になりちょうど訪ねていた。

もしかしたらこことの繋がりだったのかもしれない。

色々思いを巡らしながら米沢へ帰る途中、

ふと脇を見るとその不動尊の看板がちらりと目に入る。目に入ったら気になるので足を運ぶ。

「あのぉ、、さっき、、ある人から教え頂いたんですけど、、、月舘からお引越しされたんですって、、、?」

Nさんとの出会いによって、小手姫伝説からお不動様へ謎のシフトが起こって一日が終了した◯

月舘にも出羽三山講があるのでここにも湯殿山の石碑などが。

小手姫神社祭典〜その③

小手姫神社〜その③

直会でおじいちゃんの小手姫伝説の伝承を聴き終わったあと、出羽三山神社の宮司さんと少しお話しさせて頂いた。

「法螺貝見せてみろ」

という話しになり見て頂いたら

だいぶ古い法螺貝じゃないかということだった。

吹き口が木のものは昔の法螺貝らしい。

貝の厚みも最近のものより厚いとか。

(製作中の貝と比べてみたら確かに厚みがちがった…)

先輩山伏のお二人も

「どうしたのこれ?」

「ヤフオクで、、、一万三千円です」

「もう一回ヤフオクに出したら◯十万円かもよ(笑)」

と冗談半分に言われかなり有難い落札だったのかなと改めて思った。

平均相場からみて安めの落札だったので期待はしてなかったけど、手元に届いた時はかなり驚いた。補足説明にあった修験をやってた出品者のおじいちゃんの顔が浮かんできたくらいなので、、、とんでもないものがやってきたなと。

ただその反面こういう「修験をやってた親族の形見」がネットで売りに出されているという現実があり、それはそれでちょっと悲しいことでもある。

本来なら誰かに受け継がれていくべきものなので。

そういう想いも感じたので、

「修験のおじいちゃんの続きをやらせて頂きます」という気持ちで使わせて頂いてます。

ある意味これがご供養でもあるのかなと思っている。

これもなにかのご縁なのでしょうね。

※写真は今年の1月、甲斐大和の石尊大権現のお山へ。山伏の先輩と。