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【慮る×自己都合×解釈】

相手を慮れない人というのは

先祖やそれに関わる神さまに対しても

同じように慮れない傾向がある気がする。

なぜか自分勝手な解釈なんですよね。

いつだって相手の都合は考えない。

相手にあわせる必要はないけど

多少気はつかわんと。。。

つねに「私」が優先。

きっと誰が相手でも同じ。

友達に対しても

取引先に対しても

ご先祖様に対しても

神さま仏さまに対しても

実に面白い。

いや、実におそろしい…。

これで物事がうまく廻るわけがない。

と童子も仰っております。

祈願解除

病気平癒の祈願解除。

願をかけた方が亡くなった場合、

お札は自動的に抜けると思いきやそうではなかった。

師匠のところへ持っていき確認して良かった。

「ちゃんと解除しなきゃだめでしょ」

お礼をして、

寒川様の御霊を抜いて、

阿弥陀経でSさんのお父様のことを仏様によろしくお伝えする。

49日までは魂は身内を訪ねたりするから、いきなり成仏はさせては可哀想、とのこと。なるほど。

「Sさんは思い残すこともなくちゃんとあがれるって。娘のこと、話を聞いてやってくれって言ってたわよ。」

まぁそこは心得ております。受け給う。

願は解除しないと死ぬまでかけられたままになるので、きちんと神様にお礼をもうしあげて解除しませう。

やりっ放しの願って結構あると思うのですよね。それが支障をきたすことだって当然あるわけです。

【今日の内容】

・天津祝詞

・大祓祝詞

・般若心経

・阿弥陀経

明日は我が身と思うこそ

この世は諸行無常。

私たちはいつどこで死ぬかわからない。

各地の霊山へ赴く修行者はいつ死んでも大丈夫なように白装束を身に纏いました。

そして途中で力尽きて死んだ方も沢山いらっしゃいます。

そして明日は自分がそうなるかもしれない。明日は我が身。

そう思うからこそ、道端で浮かばれない仏様と出逢えば、その方が成仏できるように手を合わせてお経をあげるのです。

身体がなくなってしまった魂は実体の世界では何もできません。私たちが代わりにお手伝いしなければお経もあげられない。

そしてもし明日自分が突然死んでしまったら、同じ状況になるかもしれません。思い残しややり残しがあって成仏できない状況になるかもしれない。そうなった時、助けてもらえるのは実体世界にいる人たちだけです。

道端の仏様に手を合わせるのは、巡り巡って自分のためでもあります。

そしてここまで説明した時、興味津々に心霊スポットへ足を運び「幽霊っているの?」「ギャー出たー!」という行為がどれほど心無いことなのか少し考えて頂けるかと思います。

TV番組の心霊スポット特番で「悪霊退散」とかやってますが、あれほど野蛮な番組もないです。

ああいう場所に留まる霊は好き好んでそこにいるわけではなく、何か辛い想いや強い想いがあってそこに留まっています。悪霊ではありません。祓えばいいものではありません。その想いを慮ってこその人としての優しさであり、本来私たちが備えている仏心とも言えます。

ぜひ浮かばれない仏様が留まる場所に訪れたら手をあわせて下さい。般若心経をあげれば、尚のこと喜ばれることでしょう。