PCR検査の裏と利権とは…?

ちょっと気になる記事があった

こちら→https://web-willmagazine.com/social-history/W2AtR

PCR検査を万全にできる体制を整えるべきと躍起になってる某東大の某児玉教授についてだ。

PCR検査は開発したキャリー・マリス氏本人が「ウイルスを検出するものではない」と警鐘を鳴らしている。

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神さま報連相

暮れの山伏のひとりごとです、笑

神さまにお願いするのはいいけどなぁ

お願いする神さまが何の神さまかも知らないで

お願いしてもなぁ

吉野家でドヤ顔で「ピザ!!(╹◡╹)」とか言ってるようなもんだよなぁ。

そんな奴には百歩譲っても

お冷しか出てこないだろうなぁ。

社名も事業も知らずに

「御社に入社したいですp(・ω・)q」

とか言ってるようなもんだよなぁ。

「うちはいつでも募集してるから

いつでもエントリーしてね」

ってパンフレットと試供品でも渡されるんだろうなぁ。

たとえば軍神に恋愛成就祈願してもなぁ

「うむ、相手を叩きのめせばよいのじゃな」

っていうことでええんかいなぁ。

さらにお願いする相手を知りもしないどころか、

「どこそこの誰べいです」

それすらも名乗りもしないでお願いしても

神さまだって誰の願いなのか

わからなくなって当然だよなぁ。

意外とスカスカとスルーされてるんだろうなぁ。

子供だってサンタに名前と住所くらいは

伝えておねだりするのにねぇ。

一番大事なのは今年お願いした神様への

お礼参りだよなぁ。

本来神社は感謝をしに行く場なのに

それもしないで次のお願いしてもなぁ

神さまからしたら

「御宅の普段の人間関係って

それで成り立ってるの?」

って話になんだよなぁ。

願かけてその結果を報告しなきゃ

自分の願かけのPDCAにもならないしなぁ。

お礼参りって神さま報連相だと思うんだよなぁ。

お願いをしたら報告と感謝をする

これが願かけのサイクルなんだよなぁ。

そこから次の抱負や展望へ繋がると思うんだよなぁ。

そう考えると遠方の神社で願かけするのは

余程の覚悟じゃないと

あとが大変なんだよなぁ。

お礼参りまでするつもりがないなら

それは結局そんなに大したお願いじゃない

ってことなんだよなぁ。

継続は力なりって言うけど

一見さんよりは常連さんが優遇されるのは

どこでも一緒だと思うんだよなぁ。

神さまももとは人だったわけだしなぁ。

可能力って神さまPDCAの

サイクルの中に蓄積されてるんだと

思うんだよなぁ。

能登レポ①

こんばんはヒラタです◎

お陰様でようやく落ち着いてきましたw

能登で案の定、

色々たくさんくっついてきたことに

帰宅してから徐々に気付き、

一つ一つ確認して対話したり処理したりと

交通整理が終わりようやくクリアになってきました。

観音様やお坊さんやら龍やら

有象無象の雑多なものまで

渾然一体となって自分の中に入り込んでいました。。。

当然今回は神社仏閣などは訪ねる時間もありませんでしたが、ずっとマークされてる感覚は要所要所であったので仕方ありません。

面白そうな場所が沢山あったので

いつか巡礼してみたいですね。

(というよりこの一帯の里山の抖擻&滝行ツアーをやりたい、というかやらないといけないぽい)

今日は行中にやっと被災地の悲しみが

おもてに出てきたので、

これであとは来週の滝行で能登の龍と戯れてひと段落つきそうだなと。

まだ整理しきれていない部分が多いのですが、ひとまずの所感を書き綴っていきたいと思います。

いまの日本に疑問を感じる方はぜひ

被災地の能登に足を運んで欲しいなと思います。

日本のいまの問題とそこに活路を見いだせそうな未来の縮図が、能登の町野には感じましたので。

◽️壮絶たる光景とエネルギー

富山の土徳の里から町野町まで約3時間。

有料道路の片側車線が時々ごっそり抜け落ちていて、迂回して道路が舗装されていたりで、直後の復旧作業の大変さを想像させられました。

ほぼ問題なく通れるようになってはいましたが、

それでも所々に大きな凹んだ穴があったりするので、用心しないと車にダメージを負いかねない状態の悪路です。

有料道路は復旧作業をしながら稼働しているため一方通行になっています。

それゆえに移動にどうしても時間がかかるので、現地ボラ活動の滞在時間が十分に確保できないという話にも納得がいきました。

道中も時々ブルーシートがかけられた屋根やペシャンコに潰れた家屋を目にしましたが、

会場となる町野町に入った途端に景色が一変して愕然とします。

二車線の両サイドから潰れた家屋の瓦礫が飛び出している中を車で抜けていきます。

家屋解体&瓦礫撤去が全く進んでいないと聞いてはいましたが、実際に目の当たりにすると言葉を失います。

(と同時にそこにある種のエネルギーや美しさを感じてしまう自分がいることを今回ははっきりと認識しました。これは実際場の空気を感じてもらわないとわかりません。機会があればぜひ被災地に行ってみてください、まだ間に合います。)

ところが2泊3日の滞在でその壮絶な光景の中で過ごしていると、そこで暮らしている人々は対照的に活き活きとして映るから不思議なものです。

大石先生が「震災で町野の人が活き活きしている」と仰っていた意味がなんとなくわかるような気がしました。(意味合いはちがうと思いつつ結果的にたぶんいっしょです)

ちょうど10年前にチェルノブイリゾーンに行った時に感じた印象と同じだなと思いました。

あるいはネパールの暮らしも近いかもしれません。

足りないゆえの豊かさ。

被災地というのも奇しくも

足りないゆえの豊かさというのが

浮き彫りになってくるのだと

私は考えています。

だから人が集まってくるのです。

人間が作り上げてがんじがらめになった社会に割り込んでくる自然の偉大さ。

人間は自然の脅威と対峙して生き続けるしかありません。

(続く)

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山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。