先日、御嶽山から戻ってきてからそこ勢いで法螺貝の網袋を作ってみた。
なぜならば、、、今回のお山で吹き口にヒビが入ってしまったから(泣)
口金は吹き口を守る意味もあるんだなと思いつつ、貝を守るためには網袋のほうが良いと思い編み込み開始。
ほぼ丸一日で完成しました。
翌週に行く八海山は鎖や梯子が多かったので、大正解でした。
ただ白だとよごれるので、お山の行で持っていくにはやはり茶系か紫のほうがいいのかな。
吹き口付近は固く編み込むので一番時間がかかった。
房がいまいちわからず、、、
八海山は網袋で本当に良かった!
自分の法螺貝は口金を付けていないので、吹き口分の調整が失敗。
また試行錯誤して作ってみます。
ペットボトルホルダーも作ったら面白そうです。
材料はアクリル系の幅5mmの紐を楽天で購入。
そのほうが汚れも落ちやすいのでおすすめです。
意外と5mm幅を探すのに苦労しました。(3.5mmが多かったかな)
ちなみにこちらで購入しました→5mm【反/30m巻】アクリルスピンドルテープ幅約5mmのアクリルひも巾着やパーカーなどの紐に!上履き入れなど入園入学の準備にもどうぞ。1色につき数量1で入力下さい。カセ単位での販売です。※宅配便をご利用下さい。
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芸術は爆発だ!
の岡本太郎巨匠のbotで久々に心にささる言葉が目に入りました。
“期待というのは、自分自身に対してもつものであって、他には期待しない。なんにも求めない。みんな、人に期待したり、なぜ英雄は出ないのかなどと、そんなことばかり言っている。自分こそがとは誰も言わない。尊敬する人をもつことは甘えだと思う。それよりも、感動を大切にしろとぼくはいいたい。”
さすが岡本太郎巨匠の言葉はするどい。
人にはそれぞれのお役目があるけど、
自分で出来るところの限界までを
自ら努力せずに
「あの人ならやってくれる」
と託すのは何か違う。
託すことで自分の想いは
昇華されるような感覚になるけど
そこはたぶん”感ちがい”であり、
ギリギリのところまで自ら向き合うことでしか
昇華されることはない。
ギリギリまで挑んだ時、
初めて神懸かり的なお力は発生する。
神への道は他力本願でお願いすることではなくて
そこに向かって自ら体現すること、
その先にある。
これは同じく道がつく武道と呼ばれる
剣道や柔道、合気道などと同じこと。
人はギリギリまで追い込まれると
頭が空っぽになる
頭が空っぽにになれば
身体が自然と反応し動くようになる
自然と動くということは自然とリンクしていて
理にかなっているということ。
そんなことを考えていたら
理にかなうにはギリギリまで追い込め
ということじゃないかと若干冷や冷やしているのでありました。
今週のお山ではすでに追い込まれましたが、
下界でももっと追い込みをかけんとなぁ。
いざ!
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。