芸術は爆発だ!
の岡本太郎巨匠のbotで久々に心にささる言葉が目に入りました。
“期待というのは、自分自身に対してもつものであって、他には期待しない。なんにも求めない。みんな、人に期待したり、なぜ英雄は出ないのかなどと、そんなことばかり言っている。自分こそがとは誰も言わない。尊敬する人をもつことは甘えだと思う。それよりも、感動を大切にしろとぼくはいいたい。”
さすが岡本太郎巨匠の言葉はするどい。
人にはそれぞれのお役目があるけど、
自分で出来るところの限界までを
自ら努力せずに
「あの人ならやってくれる」
と託すのは何か違う。
託すことで自分の想いは
昇華されるような感覚になるけど
そこはたぶん”感ちがい”であり、
ギリギリのところまで自ら向き合うことでしか
昇華されることはない。
ギリギリまで挑んだ時、
初めて神懸かり的なお力は発生する。
神への道は他力本願でお願いすることではなくて
そこに向かって自ら体現すること、
その先にある。
これは同じく道がつく武道と呼ばれる
剣道や柔道、合気道などと同じこと。
人はギリギリまで追い込まれると
頭が空っぽになる
頭が空っぽにになれば
身体が自然と反応し動くようになる
自然と動くということは自然とリンクしていて
理にかなっているということ。
そんなことを考えていたら
理にかなうにはギリギリまで追い込め
ということじゃないかと若干冷や冷やしているのでありました。
今週のお山ではすでに追い込まれましたが、
下界でももっと追い込みをかけんとなぁ。
いざ!