「修行」カテゴリーアーカイブ

断てばそのぶん研ぎ澄まされる

梅雨がきたようなこないような微妙な空気の中、早くも夏真っ盛りになってきた感じがしますね。
今年は8月のお山修行に当たって百日潔斎に四月の末からいそいそと取り組んでいます。

百日潔斎はその昔、神聖な土地とされ戒律が厳しかった御嶽山において、入山する全ての修行者が求められたものです。
今回は「まずは百日」ということで、四つ脚の生き物の肉と、臭いが強くて修行の妨げになるとされた五蘊(葱、大蒜、辣韮、韮、蒜)を対象に取り組んでいます。
これらの食材は現代日本ではほぼ毎日食べるようなものなので、外食が少し難しくなってきます。
ただその点以外は、個人的には割と早い段階から苦もなく続けられています。

むしろ飲み会においては(酒は私は我慢する対象ではないのであえて可にしてます)これらが禁止になると食べられるものが激減するのですが、その反面酔いにくくなるという副産物的な効果が得られています。
おそらくタンパク質の分解過程で肝臓がアンモニアを尿素に分解する働きと、脂を分解させる胆汁(肝臓で生成される)の分泌が抑えられることで、肝臓への負荷が軽くなったからではないかなと推測してます。
それはさておき、食べ物を断つと嗅覚などの感覚が研ぎ澄まされるという現象に気づいてきました。毎日食べる葱(ネギ)は食卓に欠かせない食材で「食べないなんてありえない」と思っていたのですが、最近はデパートやスーパーなどの試食販売で熱せられているネギの匂いを嗅ぐだけでカラダが拒絶反応を示すようになってきました。

ものすごく臭く感じます。日頃食べていると、ネギがいかに臭いがきついものか気づかなくなるんだなと、百日潔斎による部分断食で初めて気づかされています。
何かを断てばそのぶん感覚が研ぎ澄まされる
今後の修行の一助になる大きな気づきです^ – ^

餅は餅屋、、、

今日は出張施術先の談話で

エネルギーワークのセミナーお話を聞いたのですが、
ちょっと気になったことを書きたいと思います。
このセミナーはボイストレーニングについてのセミナーだったようなのですが、

講師の方が

「他人を自分に降ろしてその声の出し方を体得できる。降ろすのは生きている人じゃなくても可能」
こんなことを教えられていたそうです。
なんだか面白そうですよねぇ。
私も興味津々です。
でもちょっと待って(*_*)
これってかなり危険です(*_*)

なぜなら、降ろすこと自体はできたとしても

降ろした他人がすぐ出て行く保証はどこにもないからです。
善良な一般市民や友人なら自分の体に降ろした後すんなり出て行ってくれるかもしれませんが、

例えばとても強い想念や強力な地縛霊のようなものだったら意図的に出ていかない恐れもあります。

また、その講師曰く

「降ろした後はちゃんとサヨナラをしないといけない。」

「君、それじゃダメだよ、終わったらちゃんとサヨナラしないと」

これも降ろした他人が「出て行きたくない」と思う強いものだったら、自分の意識は抑えられてサヨナラできない展開もありえるのが、見えない世界の怖さです。
俗に言う憑かれた状態ですね。
私も施術によって他人の意識や想念が入ってくることは日常茶飯事ですが、強い想念や低級な神様(低級といえど神様なので凡人からすれば強力です)が入ってくると、本来の自分から段々離れていきます。

普段好まないものをバカぐいしたり、

なにもやりたくなくなったり、

ひどい人は気づいたら知らない場所に立っていたりとか。

こうなってしまった場合って、もう自分でどうにかできるわけがなく、その道のプロに祓ってもらうしか術がなくなります。
挙句この講師はある日、とても強いなにかを降ろした結果、強い腰痛に襲われ動けなくなり救急車で運ばれたそうです。

自分で祓えないのに、リスクを負わせて受講者にナニカを降ろさせる。

これほど無責任なことはなく、怖いこともありません。
餅は餅屋。
こういうリスクのある行為はしっかり祓える人の指導のもとされることをオススメいたします。

下手なことはしないほうが無難なのは言うまでもないですが(^_^;)

ぜひ気をつけて下さい。
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正解は自分で探すもの

新年度となり鍼灸学校のクラスのメンバーも少し減ったので

ペア表を更新して作りました。
他の進むべき道が見つかった人

めんどくさくなって辞めた人
人それぞれ。
取り組んでみて初めて

それが自分にとって正解かどうか知ることができる。

そういう意味で最初から正解は得られない。
ともすれば正解は一生ない。
全てが正解でもあり

全てが不正解でもある
正解と思っているものは本人が「これが正解」

と後からこじつけただけなのかもしれない。
「現在」に幸福感があるから

正解と言えるだけであって

「現在」に幸福感がなければ

不正解と言うかもしれない
でも正解はないのかもしれないけど

「自然な解」はあるように思う。
違和感がなく

ストンと心に落ちる
そういう「自然な解」は心地よい。
取り急ぎ仮で作ろうと考えた末

画用紙ベースの手作りに走る。
手書きであくまで仮なのだけど仮感が薄い、、、

ススムくんの法則

【からだを預けてしまう、意識をはずす「ススムくんの法則」】

般若心経50巻、

1時間15分。

 

「やろう」と思うと気が遠くなりしんどい

(肋間筋も痛いし初日ですでに挫折しかけた)

 
ところが一度読み始めて完全に

「カラダを預ける」状態になると時間は驚くほどあっという間に過ぎてしまう。 

意識をはずしてカラダを預けると

時間が一気に飛ぶ。
ところが残り10巻くらいになると、

「もうちょっと、、、」と意識し出すので
そこからがものすごーく長いんですわ

不思議と。
40まではいつのまにかこれたのに

残り10を意識し始めると

なかなか終わらない。
なんで40までこれたか不思議なくらい

意識する残り10がしんどい
足を崩したくなる

便意を催す

トイレにいきたくなる

急にあれこれ忙しくなる
マラソンもこんな感じですよね。
山登りもそういう時あるなぁ。
この感覚はなかなかおもしろいです。
「やろう」「やらなければ」

と考えるとしんどいんですよね。
それを考えずに走り出しちゃえば

どんどん進む。
是ススムくんの法則也。
#ススムくん