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神と向き合っているのか

神職、僧侶、修験者、、、時々よその方々とお逢いする機会があるが、神と向き合っているのか、神の声を聞こうとしているのか、疑問に感じることが実に多い。

うちの師匠が厳しいからなのか余計にそう感じ、実際お逢いした際のギャップが大きい。

人と人では必ず諍いが起こりまとまらない。

だから神を据えてそのもとでまとまろうというのがシステムとしての根幹のはずだが、未だに人同士で歪みあっている状況というのが、霊山によっては根強くあることを痛感するこの頃。

高尾山の沢で蛇様が、、、

[2018年8月1日]

8月1日の神日。

御嶽のお山修行が間近ながらどうも足の調子が微妙なので、

最終調整がてら軽く仕事前の朝高尾山へ。

初の試み。

台風一過で暑くなったからか

お客様もみんな腰がひどく

明日は我が身、今週は慎重に凄そう!

と誓いつつの

あえての運動。

平日の朝の高尾山は普段より気が断然良い。

そんなことを感じながら下っていると

琵琶滝上流の沢で蛇様が!!!

目の前を横切られた。

沢が気持ちよく法螺を鳴らそうと感じた矢先だった。

この歓迎ムード、嬉しいことに高尾山の神様も喜んでおられるらしい。

最近ちょくちょくお邪魔してるのですが、

薬王院の下の道で沢に向かって法螺を吹くと

ほどなく上で勤行が始まり

一斉に法螺が鳴り出すタイミングに

毎度見舞われる。

そしてひとつ新たな気づき。

音も指圧と同じで手前じゃなく

遠くを狙わないときちんと届かない

お前は一体どこに向かって吹いている?

そんなことを最後の最後に

岩屋のお大師様にさとされ

週末のお山に備えます。

まだまだだな。

朝びちょびちょに汗をかいておくと

うだうだ暑くても快適ですね🏃‍♂️

筑波山で感じた修験の足跡

筑波山は中世期に修験道が盛んになったようですが、神仏分離以降で修験はなくなってしまった山です。(というより奈良時代にはすでに行楽地だったらしく、行者が厳しい修行をする格式の高い霊山とはちょっと雰囲気が異なる印象を受けてます)

とはいえ女体山側には沢山の磐座のような岩が沢山鎮座し、修験行者が修行したのも頷くような風景が至る所にありました。

つつじヶ丘駅から出発。 続きを読む 筑波山で感じた修験の足跡