「山伏日記」カテゴリーアーカイブ

忍者の携帯食

www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience/51/3/51_190/_pdf/-char/ja

日本調日理本科調学理会科誌学(会J.誌C(ooJk. eCryooSkceir. yJpSnc.i). JpVno.)l . 5V1,ol.N5o1. 3,No1.903~(2190128()2018)

兵糧丸、ゲームなんかによく出てきてた記憶がありますが、シナモンの論文を検索してたらこんな興味深いものが引っかかってきたのでちょっとご紹介。

今度作ってみよう。

【”誰かのため”は逃げ、責任転嫁】

健康にも関わる重要な話として

“誰かのため”は病気になる危険な思想である、

ということを挙げておきます。

お国のため→戦争

社会のため→共産主義

子供のため→毒親

あなたのため→自己否定してる自分の正当化

自分のために生きることが

責任を転嫁しない健全な生き方であり、

自分のためだからこそ

相手も快く施しやお節介を享受できる。

“誰かのため”は偽善者のいい訳でしかない。

やりたいからやるのだ

自分の柱があるから

そこを中心に世界を作れる

自分の柱があるから

誰かを助けられる。

そこをはきちがえてはいけない。

“自分のために”がない

“誰かのために”は

脆くすぐ崩れる。

つまり相手にも迷惑をかける。

“お互い様”があるようでない。

自分主体でなければ

必ず責任をどこかで投げ出す。

裏を返せば”逃げ”があるから

誰かのためと理由をつける。

そうではない。

やりたいからやるのだ。

自分を生きよ。

これはこの同調圧力の蔓延する

いまの状況下においてもいま一度、

自分に投げかけるべき

問いではないでしゃうか。

【人助け×お陰様×お互い様】

自分に業を背負わせるような人助けは

結局は知らぬ間に相手にも

業を背負わせている。

そういう人助けは

人助けはではない。

相手に真の意味で必要な形で届けられると

それは最終的に自分にきちんと返ってくる。

わかりやすく言えばこれは

ウィンウィンの関係だろう。

しかしウィンウィンであればいいかと言えば

やはりそうではなく、

時には厳しいことを言えなければならないし、

突き放すことも必要な時もある。

助けると思っていても

本質がズレてると与えたものは

自分に返ってこないどころか

(根本がズレてるのだから

返ってこないほうがまだマシなのだが)

自分がマイナスになる、

こういうやり方では意味がないどころか

相手も不幸にしてる可能性があるので

要注意です。

考え方を根本から見直す必要がある。

誰かを助けるというのは

自分がまず柱をしっかり立たせていないと

成立し得ないこと。

途中で倒れるようなしょぼいメンタルでは

最後まで責任を果たせなくなるので

無責任へと成り下がるし、

自分を大事にできないのもまた

相手にも迷惑をかけるので

責任を果たせなくなる。

自分という軸がしっかりしてなければ

何をやっても不毛に終わる。

人助けとはそんな甘いものではないよね。

と改めて考えさせられる一夜でした🌖

【夏越の大祓】

【夏越の大祓】

今日は風も吹き荒れ

申し分ないのではないでしょうか。

お榊の帰りに立ち寄った土地神様で

おもむろに大祓詞あげてきました。

そらであげられるようになると

なにかと不自由がなくなる。

一体になれば自然と口から出てくるからね。

海の向こうでは

新型インフルが発生したと

騒ぎ出したようなので

コロナウイルス感染症詐欺の

第二波の準備が始まって

いるのかもしれません。

しかしそんな心配するよりは、

自分の免疫を整えることを

真剣に考えてください。

そっちの本質の方がよほど大事。

これはコロナ云々の枝葉の問題でなく、

ひとつの生命として大事な問題です。

私たちが真剣に受け止め考えるべきは

生命を頂いてつむぐ

自分の生命と向き合うことであり、

嘘の科学や医学に群がる

詐欺師たちの言葉ではありません。

くだらないマスコミの洗脳報道の雑念も

大海原に飛ばしていただきましょう。

滝の音でも聴いて

祓い給へ、ほれ_(┐「ε:)_ザーッとな。

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