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【氣の固摂作用】

中医学では氣の概念(現代でいうところのエネルギー)を用いるが、

氣の作用の一つに「固摂作用」というものがある。

これは氣の働きがものなどを
とどまらせることを意味しており、
例えば胃下垂など内臓が下がったり
ズレたりするような状態も

氣の低下とみなす。

物体の固定という観点でいうと、
分子結合などもそうでしょう。

分子にも結合エネルギーがあるからこそ
物体として私たちが触って認識できる
存在となっている。

氣(≒エネルギー)の固摂作用が
ナニかをとどまらせることは
なんとなくイメージできます。

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物体だけでなく
精神的なものにも
固摂作用は働きます。

“思い止まらせる”などの
「思い」や「思考」も
氣の固摂作用によると考えられる。

思いの固定でひとつ思い出すのは「執着」です。

執着も莫大なエネルギーが蓄積されている。
これを振り解くには時には
莫大なエネルギーを要しますが、

執着から解放されると
一気にエネルギーが高まるのは
そのとどまった執着に
いかに莫大なエネルギーが蓄積されているか、
ということですね。

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執着とは逆のパターンで
フワフワとフロー(浮遊)させとくにも
氣の固摂作用が必要になると
わたしは考えます。

フローしてるほうが不安定なので
とどめておくにはよりエネルギーが必要であり、

エネルギー不足だとこの
フローさせとくことが難しくなるの。

なのでなるべく早く「ポイ」したくなります。

明らかにBではなくAだと判断できる
内容ならよいですが、

もしグレーゾーンに対面した時 
十分に吟味することができない。

Aの見方ができる。
が、Bの可能性もあるな。

一旦保留させておくことができず
善悪で判断しがちな時というのは、

氣≒エネルギーの低下を
示唆しています。

氣が不足しているとすぐ
善悪二元論に走りたくなる。

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この善悪二元論の落とし穴は
健康の話でも現実的に
問題を起こしている。

わかりやすい例を挙げれば、

腸内細菌の悪玉菌、
悪玉コレステロール、

などでしょう。

これらも実際には悪でもなんでもなく
むしろ必要なものです。

よく調べれば必要不可欠なものであることは
すぐわかります。

ですがいまの日本人の認識はそうではない。

悪だからなるべく避けよう、
そういう安易な考えで
避けようとしたり下げようとしたりで、
逆に病気になっている。

結局こういう悪のレッテルも
企業のコマーシャルで作られたイメージです。

こういったものにすぐ流されてしまうこと自体が
氣不足による善悪二元論病と言えるでしょう。

自然界では全てに意味があり
善悪などなく全てバランスです⚖️

夏の高尾山

スタート 11:30

山頂12:15

もみじ台で休憩

下山 13:20
明日から一週間福島巡業なので迷ったが、山修行前の調整が必要と思い遅めの今季3回目地下足袋登山。夏に高尾山のぼるとかありえないと思っていたけど、上に行けば気持ち涼しい感じもした。こんな暑いのに相変わらず山頂は人が多い。。。夏だからこそのもみじ台ちゃやでのなめこ汁。百日潔斎でネギがダメだったのを忘れていて、避けながらたべる。

もみじ台の藪道にはまだ紫陽花が咲いていた。


登る前はいつもふもとの飯綱大権現様にご挨拶していくが、1ヶ月空いてしまった身体だけど、お参りするとスッと身体に山の気が入ってすぐいける状態に身体が変わってしまうから不思議です。
再来週は金峰山だ。

土に根をおろし、風とともに生きよう

スピリチュアル系な場でよく耳にする
「グラウンディング」
響きはかっこいいですが、

要は
・地に足がついていないがゆえに
・すぐブレる、弱いんですワタシ

とそういうことなのですよね。。。
ふわふわなことばかりに逃げないで、現実を生きましょう。
毎日きちんと身の回りの掃除をするとか、それが一番りっぱなグラウンディングだと思います。
それができてなければ、
パワースポットなんて行っても、
その場を汚して帰ってくるだけです。

神様に失礼なのでくれぐれもお気をつけ下さい、笑