神と向き合っているのか

神職、僧侶、修験者、、、時々よその方々とお逢いする機会があるが、神と向き合っているのか、神の声を聞こうとしているのか、疑問に感じることが実に多い。

うちの師匠が厳しいからなのか余計にそう感じ、実際お逢いした際のギャップが大きい。

人と人では必ず諍いが起こりまとまらない。

だから神を据えてそのもとでまとまろうというのがシステムとしての根幹のはずだが、未だに人同士で歪みあっている状況というのが、霊山によっては根強くあることを痛感するこの頃。

倶利伽羅龍王と北斗七星について

『仏説北斗七星延命経』について

数年前から八海山に呼ばれていたが、今年の夏はより強く八海山に引き込まれている。

八海山の龍がきちんと動けていない。

3つをまとめるように神様は望まれているようで、改めて開闢が必要という壮大な話になってきており、途方に暮れている…

昨日は修行で八海山には五龍だけでなく、妙見信仰の七龍、そのトップに倶利伽羅龍王がいるという話になり、妙見菩薩の陀羅尼と倶利伽羅龍王陀羅尼をしばらくあげることに。

妙見信仰についてしばらく掘り下げることになりそうだ。

このところ「薬師如来」がずっとひっかかっていたのだが、破軍星が薬師如来とみなされてきたため、妙見菩薩の化身が薬師如来とされてきたと知る。[2022.09.17]