お彼岸〜陰陽のバランス

お彼岸ですね。
お彼岸は日本独自の仏教行事で春分、秋分の日のそれぞれを中日とした7日間に「彼岸会」を行います。
日本独自なのは春分・秋分の日に太陽の方向を拝む「日願」という日本古来の風習があり、それが西方浄土を信仰する浄土思想と結びついて人々の間に広がったとか。
昼夜の長さが等しくなる春分・秋分の両日は、古くから万物のバランスが最もよくなると信じられてきました。陰陽が等しくなるポイントですね。
私の場合、お彼岸に対する意識は昔からあまりなかったのですが(仏壇のお供物くらい)
福島の方と関わるようになってからお彼岸を

とても意識するようになりました。
3月になるとみなさん口を揃えて

「お彼岸」の話をし、

お彼岸になると墓参りのための帰省で大移動でバタバタして忙しそう。

いつのまにやら、とても季節を感じる印象的な節目になってます。

まぁいまや修行が始まってから先祖供養は外せない項目になっております。
ぜひ陰陽のバランスを感じながら、ご先祖様の供養をされてはいかがでしょうか^ ^
※彼岸は「完成された仏の境地」を意味するサンスクリット語の波羅蜜多を訳した言葉。

私たちが住む煩悩や生老病苦にまみれた「この世(此岸)」から、阿弥陀如来の坐する極楽浄土(彼岸)に渡ることで、煩悩から解放され悟りの境地に至るという救いの言葉でもある。

首と腰の相思相愛

首を伸ばすと自分のヘルニアは治るという

新技を発見。 
首を左に伸ばすと

腰の骨が入っていく。
先日の施術でお客様との会話でヒントを得て

ふとアプローチしてみたら発見した。
師匠に首が悪いとは言われてたけど

体感的に首と腰が連動してることを

今回はっきりと認識した。
もともと首は良くないんだけど

一番思い当たった原因が
仰向けで寝ながらの左を向いてのスマホいじり。
左から充電コードが伸びてるので

違和感を少し感じつつ

おそらく夏頃からその態勢が習慣化していた。
加えて施術も体制的に左に首を傾けがち。
もっと遡るとギターなんだろうなー
もともと首から腰にかけての椎骨は衝撃吸収のために構造的に湾曲してる。

だからあるポイントがひねりを加えてズレると

それにあわせて対応してる腰の骨も

ひねりが加わってズレる。
どうやらもともとの構造を軸に、

バランスをとろうとしてズレるらしい。
カラダは素直だから

ズレにあわせてくれちゃうんだな。
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そういえば首コリがひどい方に
「ずっと左向いてること多くないですか?」

と訪ねたところ、
「リビングのテレビはテーブルにつくと左向かないと見れないです。」
そんな原因が判明したことがあった。
ささいな習慣がカラダに負荷をかける。
毎日こまめにリセット
いつもまっすぐな姿勢の生活を

心がけたいですね。
#椎骨

#湾曲

#ギター

あれから6年

あれから6年、、、

初年度は伯父のいるいわき市へ趣きボランティアセンターへ。

なぜか伯父の親戚のいる四倉での被災家屋の泥撤去。

(5月頭のいわき沿岸部の様子)
その流れからさらに北の久之浜へつながり微力ながらお手伝いさせていただく。

 翌年は都内避難者の集いのお手伝いをさせていただくようになり、

3年目からは社団法人の事務局となり、毎月福島と南相馬へ通って施術ボランティアをしていました。

  

今でも時折連絡したりお会いする方の中には

茨城へ引っ越したけどさらに南下して来月から東京へ来る方
旦那さんの仕事が軌道に乗り、来月から名古屋へ引っ越す方
私がつながってる方は昨年から今年にかけて激動な一年を送られていますが、
次へ次へと進んでいらっしゃるので

前へ進むこと自体はとても佳きことかなと思っています。
今後も微力ながらお手伝いさせていただければと思います。

明日は師匠のもとで御世話になった地域のご供養のお経をあげさせていただきます。

陰陽五行でみるマリッジブルー

火と水の人間関係におけるマリッジブルー

今日は親指スパイラルストレッチを知人に伝授してきたのですが、

「最近同棲を始めたが彼女とうまくいかない」
という話が始まり、「大変そうだな〜」とわたしもストレッチよりそっちばかり気になってしまいました。

彼女は8個下。
ディズニー大好きでディズニーで仕事をしていて、食器(すべてディズニー)などの物は予備がないと不安な溜め込み派。
一方彼氏は「生活用品は最低限あればいいでしょ」のシンプルライフ派。

そして食器のストックの有無でも大げんかになるらしい。

お互いの仕事柄、生活時間帯も違うのでほぼすれ違い状態。

少し話を聞いただけでも随分対極的な2人だなぁと感じたので、生年月日を教えてもらい帰宅後に2人の星を調べてみる。
彼氏は九紫火星

彼女は一白水星だった。
調べてみるとこの組み合わせは相当特別らしい。

で、こんな感じで彼氏にはお伝えしました。

今日はありがとうございました。
調べてみたところ

Bさん→九紫火星

彼女さん→一白水星

でした。
この記事(http://blog.livedoor.jp/junior24/archives/52540129.html)はなかなか面白いこと言ってるなと思ったのでご参考ください。
お二人は火と水、陰陽の対極にあるので、全く違います。性質的には相入れません、しかしそれゆえに惹かれあうということ。
この対極同士の水と火をつなぐのは木=思い

木は象徴で言うと「龍」、立ち昇るエネルギーです。

思いを合わせられる目標が2人をつなぐために必要です(それが結婚なんですかね、、、)
もう一つ五行の進化ルートで言うと

水は「自我」、木という思いの鏡(自我の色眼鏡、フィルター的な意味です)を通して、火の「高次の自己」へ進化するというルートがあります。
人が水から火へ進化しようとするときに、その人の成長が不十分だと色眼鏡が未熟なので、木を通して火(自分の高我)をきちんと見ることができず、逆に自分の悪い面(自我)ばかり映ってしまい現実(土)に突き落とされます。
奇遇にもBさんは年齢的にも約ひと回り上で彼女にとってはある意味高我の存在でもある。(水火の対極関係であり、自我高我の対極関係でもある。まさに対極中の対極ですね)
この場合Bさんが火の立場から接しても

彼女が自我から抜け出すことはなかなかできないので

彼女が水から火へ進化できるような「木」の役割に、Bさんがまわらないと事がうまく運ばないのだと思います。

Bさんが奥様の「木」という触媒になる必要がある。
陰陽の対極なので反発も起こりますが、かっちりかみあえばお互いを補完しあい、逆に最強の組み合わせにもなりうるってことになります。

専門的な知識があるわけではないですが、

わたしが勉強してる範囲ではこんな見解を持ちました。

わかりづらくてすみません。
ちなみに一白水星は今年は星厄で「八方塞がり」の歳。八方が塞がれてるので、逆に守られているとも捉えられるのですが、新しいことなどは失敗しやすい年です。星祓いの厄除けをされたほうがいい年です。

◆対極的だからこそ最強

火と水

この陰陽の対極は人間関係でいえば
全く違うもの同士であり
性質的には全くあわない。
でも違うもの同士だからこそ
惹かれあうものがあり
お互いにないものが相手にある。

火は水を蒸発させ変化させることができるし

水は燃えすぎた火を鎮火させることができる
しっかりかみあえば

お互いに補完しあえるので

最強の組み合わせにもなりうる。
火と水をつなぐのが「木=思い」
じゃあ「木」とはなんなのか?

というところまで昨夜は考えたのだけど

もうひとつ気づいた。
火は水を沸騰させる。

沸騰した水は水蒸気となって立ち昇る

立ち昇る龍=木となる。
水を立ちのぼらせる火とは何なのか。

 

火とは愛である。

もっと愛を注ぎましょう、

そういうことなのかと。

、、、結局そこなのかと∑(゚Д゚)
結論に至るのでした。
彼は一心に彼女に愛を注ぐしかないようです。
なかなかストイックな修行ですなぁ。
でもその愛の形が彼女に必要なの形であれば、きっとうまく届くのだと思います。

もう一つ五行の進化ルートでいうと

水は「自我」木という思いの鏡(自我の色眼鏡、フィルター的な意味です)を通して、火の「高次の自己」へ進化するというルートがあります。
人が水から火へ進化しようとするときに、その人の成長が不十分だと色眼鏡が未熟なので、木を通して火(自分の高我)をきちんと見ることができず、逆に自分の悪い面(自我)ばかり映ってしまい現実(土)に突き落とされます。
奇遇にも彼氏は年齢的にも約ひと回り上で彼女にとってはある意味高我の存在でもある。(水火の対極関係であり、自我高我の対極関係でもある。まさに対極中の対極ですね。すげー組み合わせなんだなぁ、、、)

こんな感じで火と水について考えていたら「この世は不完全なんだ」という最近の気づきが頭をよぎった。

◆この世界は不完全で成り立っている
この世界は不完全から成り立っている。不完全だからこの世界は成り立っている。

例えば人間には必須アミノ酸という

体内で合成できないが、

生命活動に必要な栄養素がいくつかある。
体内で合成できないものがあるからから、

他の命をいただかなければ生きていけない。
なんで自己完結できるような構造にならなかったのか。

生命活動をおこなう構造としては不完全な気もする。
でもちょっと考えてみた。
自己完結できてしまったら

外に求めるものがなくなるので

外への働きかけは何も必要なくなる。
つまり存在ながらにして

外の世界と関わりを持たない

「無」の状態になってしまうのではないか?
私たちは不完全だからこそ

外の世界と関わらなくてはならず

相手を求めて反応しあい

生きていることを実感できる。
だから生きるとは不完全な状態じゃないと

できないことなんだと思う。

不完全だから関係性が発生する。
互いが違いでいい。

それが生きるということ。
だから、できなくていいんですよ笑

なんてね。
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