大寒③〜水は中庸であり循環である
水が禊や清めに使われるのは
その性質にも理由がある。
水は中間の存在だ。
pH(ペーハー)は7になる。
1(酸性)〜14(アルカリ性)のちょうど中間の
性質を持つ。
祓うとはフラットな状態に戻すことだ。
性質的にフラットな水が祓いに使われるのは
この観点でも意味があることに気付く。
水は中庸な性質を持って、
私たちの過不足を戻す働きかけをしてくれる。
身体のペーハー調節としての「排尿」も
その媒体は水だ。
水によって身体はきれいに保たれている。
======
水は形態も中間の存在だ。
固形↔︎液体↔︎気体
水の形態は温度によって自在に変化する。
氷点下になれば氷として固形化する。
沸点に達すれば蒸気となって空間を自由に
飛び回る。
常温に戻れば液体に戻る。
状況によって自在に変化できる性質は
「空」とも言える。
一つの状態に縛られず、状況にあわせて
自由自在に在り方をさだめられる。
理想的な心の持ち方、
理想的な自分の在り方だと思う。
======
そしてこの形態変化によって
水は自然界を循環している。
海から空へ、
空から山へ、
山から川へ、
川から海へ、
その循環の中には
人間も含めて全ての生命が
組み込まれている。
つまり水は循環も意味している。
水という性質を考えてみると
水を浴びて禊ぐというのは
物質的・精神的に中庸に戻す、
自分は世界の循環の中にいる、
そういう無意識への働きかけでも
あるのかなと思います。
水は有り難い存在です。