こんにちは、センシです( ´ ▽ ` )ノ
今日は
大阪市立茨田北中学の寺井壽男校長の
「女性に最も大切なのは子どもを2人以上産むこと」
という問題発言について思うことを書かせていただきます^ – ^
個人的には「2人以上」というのが余計な一言な気はしますが
行間読める人であれば、
話の下手くそなこの校長の気持ちはくめるだろうと思います。
いや、くんであげるべきです。
まずそこは察するべきです。
教育者として言いたいことがあって、
それを生徒たちに投げかける。
別に普通のことです。
いや、むしろ重要なことでしょう。
生命を紡ぐこと、
少子化、年金問題、この国の展望、
子供達の将来、
そこらへんがごっちゃになりすぎて変なまとめ方になっちゃってる感じがありますが、言いたいことはなんとなくわかりますよね。
むしろ言葉尻だけをとって
「教育者として軽々しい」
と批判する文科省や大阪教育委員会のほうがよっぽど軽々しい、薄っぺらな教育論を振りかざしていてみっともないな
というのが正直な感想です。
「産むか産まないかは個人の自由」
「産めない人もいるのに差別的な発言だ」
といって特に触れもせず当たり障りのない言葉で終わらせる
それでいいのか?
いいはずがない。
1番大事な話です。
「生命」の話なんです。
教育ってたぶん何かを印象付けないと意味がないじゃないですか。
心に何か刺さらないと、原動力にはならないじゃないですか。
ましてや「倫理観」「道徳観」が失われきていると問題視されている昨今ならなお更この問題は言及すべきことです。
文科省、教育委員会はそこまで重みのあることとして認識していないから、すぐ処分とか言ってしまえるのではないかな。軽いなぁ。
そしてもう1つ
「産むかどうかは本人の自由」
こういう考え方自体が軽率だなと感じます。
今生きている自分はどのくらい時間をかけて紡がれてきた生命なのかイメージしたことがあるでしょうか?
何千年、それよりもっと以前、何億年も前に生命が誕生した時から脈々と続いてきたわけです。
電子レンジみたいにボタンをポチッと押せば
「チンっ」とできるような、そんなお手軽な話ではないわけです。
今、私たちがこの世界で生きているのはご先祖様が生命をつなぎ続けてきたからこそ。
途中で1人でも生命が途絶えたら今のあなたは存在しません。
何億、何兆分の1の確率であなが存在するわけです。
あなた自身が奇跡の象徴みたいなものです。
そういう壮大なスケールのもとに産まれてきた「生命」としての自分と向き合った時に果たして
「産む産まないは自由」
と簡単に言えるものなのか。
産みたくても産めない人もいるのに
それができる条件を与えられていながら
簡単に放棄していいような軽い話なのか。
もちろん産むことが全てだとは思いません。
生命をつなぐのは母親から産まれてきたあと、
その他大勢の助けを借りて成長していくのですから。
産まれてからのほうが助けが必要です。
不運にも助けを得られない生命もあります。
そういう生命を助けてつないでいく人生を選ぶ方もいます。
人間として産まれてきた以上は
人間として生命をつないでいく使命が課せられていると思います。
「価値観の押しつけ」
一体何を言っているのか。
そんな一個人の身勝手な価値観で測れるほど
生命の重みは軽くないですよ?
生命の重みを感じとれているんですかねぇ。
==================
この問題、校長の伝え方が下手すぎるのが個人的には1番の問題と考えます。仮にも学校の長なんだから笑。寺井校長もっとしっかりしろ。
そして言葉尻をとって批判する教育関係中枢の人達。レベル低い。終わってる(´Д` )
#生命