「終活」ってどう思いますか?

流れって本当に不思議。
昨日は昼から反響がポンポンと来てちょっとワクワクしていたら、最終的に3年前の過去とつながるという不思議さ。
「縁起」ー無限の関係性のなかの絶えざる変化という実相の在り方
目で見て、耳で聴いて、鼻で嗅いで、
私たちの感覚も全て色んな物質、要素の関係性と変化で成り立っている。
そう考えると「生きる」って「周りと関係性を持つ」ことなんだなと思います。

国と国だったり、人と人同士であったり、ミクロな視点で見れば細胞レベル、原子レベルと全てが関係性がある。
関係性を持つ以上は何かしらの迷惑はかけることになります。

何かしらお世話になってしまうのはしょうがないことです。

お互い様です。
そして関係性という点でいうと「終活」について思うことがあります。
「誰にも迷惑をかけずに1人でお墓に入りたい」
こう思う感覚はなんなのだろう、と。
誰だって産まれてきた時点で、親から始まり沢山の人に迷惑をかけてるはずなんです。

迷惑をかけずに生きてきた人なんていない。
それを今更「迷惑をかけない」ことで今までの人生の迷惑をチャラにできるのでしょうか。
子供だってもし「親孝行できなかったなぁ」と感じていたら、親に最後くらい頼られたほうが孝行のしがいもあるというもの。
それをさせないのはある意味親子の関係性を壊すことなんじゃないのかな。
生きること=関係性を持つこと=迷惑をかけることなのであれば、
最後まで人生を謳歌して欲しいなと思います。
仏教の説く関係性を無視して、自ら生きながらにそれを壊す方向にもっていくのはどうなんだろう?
と疑問をぬぐえません。
「迷惑をかけたくない」

とは仰るものの
そっちのほうがエゴなんじゃないかなぁ。
「生きること」に対しては。
あなたはどう思いますか?
#終活