「忘れない」
ということについて考えていたらちょうどこんな記事をみかけた。こちらの記事を是非お読みになってみてください。言葉の力って思ってる以上に大きいので、「忘れない」が誰に対してなのかによって危険性も孕んでくるなぁと考えた次第です、、、
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震災の「忘れない」で考える事
3.11が近づくと特に頻出する「忘れない」という言葉。
これは捉え方としては危うい面もあると最近気づいてきた。
3.11に関して言われる「忘れない」は、被災者が「忘れられるのが怖い」という不安を受けての「忘れない」であり、被災していない地域の我々が被災地のことを「忘れない」ということであり、先人の言い伝えをいつの間にか忘れ津波を再び受けてしまったことや、その他様々な問題に対する教訓としての「忘れない」であると思う。
これらとまた違う立場の「忘れない」がある。
被災者ご自身の震災経験としての「忘れない」だ。
どちらかといえば「忘れられない」かもしれない。
もちろん忘れられなくて当然だと思うが、そこに囚われすぎて前を向けない方がまだ大勢いる現状がある。想いは大切にしたいが、私達は「過去」ではなく「現在」を生きている。与えられた命、生かされた命には何かしらの意味があるはずだ。与えられた命に感謝して「現在」を大切に生きる。そう思えるようにするには一体私達は何ができるのか?5年目の課題のひとつはそこにあるように思う。
修行の教えで「執着は身を滅ぼす」と先生や先輩がよく口にする。「忘れられない」を執着という言葉に言い換えると少々乱暴な気もするが、現在に生かされていることに感謝できるかどうかでこの「忘れられない」の意味もだいぶ違ってくるとも考える。
非常に難しい問題ではあるが、世の真理でもある。
いつも同じ自分でいるようでいて、本当は細胞も入れ替わり立ち替りしているので毎日が違う自分だ。
そして周りもくるくると同じように変化している。
一時として同じ「いつもの日々」はないのが真実だ。
日々に感謝して生きていたい。
この世は無常ですから。
あれから4年
早いなあとしみじみ感じています。
この4年で色々な方と出会ってめまぐるしく環境が変化し続けてきました。
被災地ではたくさんの人が亡くなり、別れがあったわけですが、
私は逆にたくさんの出会いをいただきました。
要所要所で人生を与えられて、感謝しています。
人生は無常です。
メディアでは「被災地を忘れない」という形で被災地特集が報道されるわけですが、被災地がいま抱えている問題は日本全体の問題です。 続きを読む あれから4年
被災地行脚④~名取・仙台
前日入りしての三日目は名取と仙台の仮設住宅での支援活動。今回は昨年もここでご一緒させていただいた主催のNPOキャットミントさんと、兵庫の鍼灸師山本先生とのコラボ。午前中の名取の三田園仮設は閖上地区から避難されている方々の仮設。昨年もお世話になりました。約2時間の短い時間だったのですが、いきなり20人も施術させていただきました。10分ずつ回しながらのタイトな施術でしたが、私はちょっと遅れ気味でペースを見だしてしまいました。肩とか背中とか、福島の時よりガチガチの方がいてちょっと気合が入ってしまいました。昨年も気づいたのですが被災地の地域や職業によって凝ったり痛くなったりしている部位に特徴が見られます。
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