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大寒③〜水は中庸であり循環である

大寒③〜水は中庸であり循環である

水が禊や清めに使われるのは

その性質にも理由がある。

水は中間の存在だ。

pH(ペーハー)は7になる。

1(酸性)〜14(アルカリ性)のちょうど中間の

性質を持つ。

祓うとはフラットな状態に戻すことだ。

性質的にフラットな水が祓いに使われるのは

この観点でも意味があることに気付く。

水は中庸な性質を持って、

私たちの過不足を戻す働きかけをしてくれる。

身体のペーハー調節としての「排尿」も

その媒体は水だ。

水によって身体はきれいに保たれている。

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水は形態も中間の存在だ。

固形↔︎液体↔︎気体

水の形態は温度によって自在に変化する。

氷点下になれば氷として固形化する。

沸点に達すれば蒸気となって空間を自由に

飛び回る。

常温に戻れば液体に戻る。

状況によって自在に変化できる性質は

「空」とも言える。

一つの状態に縛られず、状況にあわせて

自由自在に在り方をさだめられる。

理想的な心の持ち方、

理想的な自分の在り方だと思う。

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そしてこの形態変化によって

水は自然界を循環している。

海から空へ、

空から山へ、

山から川へ、

川から海へ、

その循環の中には

人間も含めて全ての生命が

組み込まれている。

つまり水は循環も意味している。

水という性質を考えてみると

水を浴びて禊ぐというのは

物質的・精神的に中庸に戻す、

自分は世界の循環の中にいる、

そういう無意識への働きかけでも

あるのかなと思います。

水は有り難い存在です。

大寒②〜伊邪那岐の禊

古来から日本では禊が行われてきた。

最近メディアでよく見かけるのは、

宗像大社沖津宮の神職の海での禊だろうか。

古事記ではイザナミを追ったイザナギが

黄泉の国から戻ってきた場面で

「禊」が登場する。

筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で

禊ぎ祓えを行った。

その際に出てきた神様が

出てくるのが禊の祓い祝詞。

九柱の神、

ヤソマガツビノカミ

カムナオビノカミ

オオナオビノカミ

ソコツワダツミノミコト

ソコヅツオノミコト

ナカツワダツミノミコト

ナカヅツオノミコト

ウワツワダツミノミコト

ウワヅツオノミコト

禍(曲)ツヒノ神と

直ビノ神に続くのは

阿曇連の祖先神のワタツミノ三柱。

ツツオノ神三柱の住吉三神。

禊(身を削ぐ)という点でみると

底、中、上の三層、

三段階の祓いになってるのが興味深い。

禊の川が河口付近であれば川の水は海の塩水と水流が重なり合う。2つの水流とその境界を含めて三層構造なのかもしれない。

面白いことに身体も三層構造が基本になっている。

血管は外膜、中膜、内膜の三層構造を基本とする。

消化管などの中腔臓器は粘膜、筋層、漿膜の三層構造。

受精卵では外胚葉(皮膚や神経系)、中胚葉(筋肉、骨格、脈管)、内胚葉(口〜肛門)、この三層が分化して人体がつくられる。

東洋医学での病気の深さは

「表証」「裏証」そしてその間の

「半表半裏」の三層で考える。

病気とはまさに三層のどこで起きてるかが問題で、治療もどこに対してアプローチするかが重要になってくる。

この世界で見れば天・人・地。

天と地に挟まれて生命は活動している。

上と下、内と外、

そしてその間の三層構造。

三層構造は五行同様に

色々なことにあてはまる。

何事も表面だけのアプローチでは

効果は乏しく、

内側からも働きかけなければ

変化は難しい。

健康という身体的な面でも言えるし、

自分自身という内面的な点でも

言えるかもしれない。

組織やコミュニティ、

社会などマクロ的な面でも

同じことはあてはまる。

禊(三削ぎ)とはなかなか

奥が深そうです。

※こんな記事を昨夜考えていたら

今日は海に入る流れになってしまった。

流されませんように、笑

大寒①〜日本人はたぶんもっと水を浴びたほうがいい

今年もいよいよ大寒がやってきた。

例年より暖かいとは言ってもやはり冷え込むのが大寒であって、相対的に明日の朝はかなり寒いんじゃないかと思っております。

寒いと身体がびっくりします。

もとに戻そうと視床下部が働き出し

サイロキシンが分泌され

産熱作用が促進され

体温が上がります。

震え産熱も起こります。

こういう身体の循環・反応が鈍くなっているのが現代の日本人。

施術をさせて頂くと

「身体の感覚が死んでるな」

と感じる方と度々であいます。

感覚が鈍くなっている

感じる力が弱くなっている

現代の私たち。

そういう感覚を呼び起こす

身近な方法として寒の水行は

実は年間で最も効率のよいものだなと

思います。

それが修験では滝行になるわけだけど、

滝じゃなくても大寒に水をかぶるのは

それなりのインパクトを引き起こす。

身も心も引き締まるし

何より感覚が呼び起こされる。

一般的な行事として各地で寒中水泳があるのも

そういう理由だと思います。

4年前震災直後のネパールを訪ねた時、

水のシャワーが当たり前と知りました。

そして数日間、それを体験。

道端では子供が水を浴びている。

ネパールの人達がなぜか

いつも楽しそうで自由な理由の一つが

毎日水で清めているから。

私の中ではそうなってます、笑

ちゃんと清めてるから自由。

「感覚が鈍ってるなぁ」

そう感じる方には

大寒の水行、おススメします❄️

(高血圧、心臓の悪い方はご注意を)

by寒行促進委員会

寒行①〜蛇さん大集合その一

2年前から感度の高くなる寒行には、必ず誰かが出てくるようになった。

今年はどんなお坊さんだろうと楽しみにしていたら、、、なんとゾロゾロ並ぶ蛇さん達だった。

大寒1週間前の修行の帰り道、仲間と別れてホームで電車を待っていると後ろに沢山並んでいる気配に気づく。三連休最終日の夜にしては随分混むんだなぁと思いながらチラッと後ろを振り返ると、誰もいない、、、?!ふと冷静に考えハッとする。

「ん?どこで?なにがついてきた?」

師匠の下で修行できれいさっぱり祓った直後に一体なにがおこったのか?さっきまで焼鳥センターでみんなで呑んでいたから、そこで何かついてきたのか?

寒行の前は必ず何か起こるけど、早すぎないか?

しかもズラーーーッと半端ない人数。酔って感覚は鈍いはずなにこれだけはっきり感じるのはよほどの方々。

「明日は十五日の神日だから、今年の寒行は神日から始めるのもいいかもなぁ」と思っていた矢先にこの後ろの方々。

まあしかし、ゾロゾロ並んでいるけどそんなに重たい感じや嫌な感じはしない。ひょっとしてご先祖様なのか、、、?んーでもなんかご先祖様もいる気はするけど大半がそんは感じではない。

この状況、明日から寒行を始めるべきかと考えたが、19日は大事な試験を控えていた。

本来は試験も無事終えて20日の大寒からしっかりスタートのつもりだったので、心身の準備ができていない。万が一風邪を引いて試験前に寝込むわけにもいかない。あれこれ吟味した末に、神日スタートは見送った。

ところがその夜、やはり後ろの方々が気になって仕方がないので「これはやらないとダメなパターンだな」と腹を括り、翌朝から急遽スタート。蝋燭も激しく溶け落ちたのです。この形はもう龍か蛇だよね…

ダウンしないか今年はさすがに不安が募る。テスト目前だからなぁ。

自分の場合、寒行は左右頭ワンセットを3回、そのあと水風呂に浸かりひふみ祝詞と般若心経一巻。かなり冷える。

後ろの方々に「一日1人ずつ一緒に入って頂きますからねー」とお断りして始まった。

そして20日の朝まで、1日1人ずつだからか毎日水の中であげるものが違ってくる。上にあがっていく感じでもないから仏様ではないらしい。

そして大寒の20日の午後、師匠のもとへ伺い、後ろ方々の相談をしてきた。。。

そしたら面白いことになってしまった。