「山伏日記」カテゴリーアーカイブ

朝の御霧夕の御霧〜大山阿夫利神社

日曜はちょっと重たい本をどうしても読み切りたいがために足を伸ばした。

湿度は苦手だけど

この日のような山中の霧はちがう。

龍のお山の霧。

水龍の祓いの中を進む。

水に包まれながら登っていると

体内と体外の循環がスムーズになるのか

あまり水を飲まなくても

力が湧いてきて

集中力も途切れない。

水を通して何かを取り込んでるのがわかる。

霞を食うとは

この延長線上なんだろうな。

以前、金峰山でもこんな感覚があった。

結局何も食べずに麓まで駆け下りる。

ドロドロの道でも足運びはスムーズ。

ひさびさに天狗がやってきた感じ。

下山したら空も晴れ晴れ。

今月は大祓月間なだけに

梅雨の中、佳き半日だった。

科戸の風の天の八重雲を

吹き放つ事の如く

朝の御霧 夕の御霧を

朝風夕風の吹き拂ふ事の如く…

此く佐須良ひ失ひてば

罪と云う罪は在らじと

祓へ給ひ清め給ふ事を

天津神国津神八百萬神等共に

聞こし食せと白す

今日はありがとう大山◎

筑波山で感じた修験の足跡

筑波山は中世期に修験道が盛んになったようですが、神仏分離以降で修験はなくなってしまった山です。(というより奈良時代にはすでに行楽地だったらしく、行者が厳しい修行をする格式の高い霊山とはちょっと雰囲気が異なる印象を受けてます)

とはいえ女体山側には沢山の磐座のような岩が沢山鎮座し、修験行者が修行したのも頷くような風景が至る所にありました。

つつじヶ丘駅から出発。 続きを読む 筑波山で感じた修験の足跡

半分青い。いや半分以上青い。

6月3日、

セラピスト仲間の方からお誘い受けて筑波山へ行ってきました。

今回は個人的な裏テーマもありましたが、

思ってた以上にここは奥が深い山かもしれないことが

だんだんわかってきました。

修験がなくなってしまったのが本当に勿体ないと思わせるお山でした。

「きれいな音ですね」

と道中声をかけてくださったマダムは 続きを読む 半分青い。いや半分以上青い。

小手姫神社祭典〜その④

小手姫

大伴連糠手(父)

錦代姫(娘)

祭典の神拝詞では小手姫のほかに父の大伴連糠手と娘の錦代姫もあわせ三神で拝した。

直会が終わり、小手姫様へ挨拶して帰る前にひとつ寄り道をした。

大伴連糠手にまつわる場所とされるお不動様へ案内された。

案内していただいたのは茨城のNさん。

実は昨年、小手姫神社を訪ねた時に「うちに毎年くるN君て子がいて、秋の峰行く予定だよ」と宮司さんから教えていただき峰中に会えるかなと楽しみにしていた。

結局都合で参加できなかったらしく、峰中で会うことはできなかったけどこの日ついにお会いすることがかなった。

ここへ来れば会えるんじゃないか、そんな氣はしていたのだけど。

Nさん曰く「忙しくてとても行けるような状況ではなかったんですけど、やっぱり今日は行かなきゃいけない気がして無理やり来ました、、、」

祭典から直会までの出来事を考えると、そんな感じになるのも致し方ないとおもう。

小手姫様とおじいちゃんは妙な引きの強さを持っているんだもの。

そしてこの日ようやく出会えた。

案内されたお不動様ははいつも気になりつつも通りすぎる磨崖仏の場所だった。

Nさん曰く、裏に管理人さんの家があるのだが、とある事件でお亡くなりになられたとか、、、妙に気が進まなかったのはたぶんそのせい。。。

一緒にお不動様を拝んだあとNさんは色々教えてくれた。

小手姫様が使ったとされる晒し石がある川の少し下流に佇むお不動様。

お不動様だけにここら辺にかつては滝の行場があったんじゃないかともいわれているらしい。

また、ここにもともとあった御本尊はその昔ある人に持ち出され、米沢と福島の県境手前にある某不動尊に今はあるといういい伝へがあるらしい。

その不動尊は昨年妙に氣になりちょうど訪ねていた。

もしかしたらこことの繋がりだったのかもしれない。

色々思いを巡らしながら米沢へ帰る途中、

ふと脇を見るとその不動尊の看板がちらりと目に入る。目に入ったら気になるので足を運ぶ。

「あのぉ、、さっき、、ある人から教え頂いたんですけど、、、月舘からお引越しされたんですって、、、?」

Nさんとの出会いによって、小手姫伝説からお不動様へ謎のシフトが起こって一日が終了した◯

月舘にも出羽三山講があるのでここにも湯殿山の石碑などが。