大寒⑥〜冷やしても治るという盲点
「温めて身体を治す」
「温めて免疫力アップ」
というのは最近はだいぶ周知されていますが、
実は「冷やしても治る」というのは
盲点かもしれません。
慢性的な冷えは循環を滞らせるので
健康的には良くないですが、
一時的な冷えは逆に循環を起こします。
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水をかぶったり
水風呂に浸かっていると
皮膚が赤くなる。
皮膚が赤くなる、
ということは血管が拡張して
血液が集まっていることを意味する。
これはおそらく軸索反射による
「フレア現象」と呼ばれるもので、
感覚の受容器から伝わった刺激が
すぐ近くの血管に作用して
痛みの物質を分泌し、
そこに血液が一時的に集まり赤くなる。
鍼や灸を施すとその周辺だけフレアが出ることがあるのですが、冷やしても同じことが実は起こります。
血液が集まるということは
つまり白血球も集まっているので
単純に考えればその部分は治癒力が増すことになる。
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「温めて身体を治す」
「温めて免疫力アップ」
というのはだいぶ世の中に浸透してます。
たしかに温めれば循環も良くなるし
免疫力もあがる。
しかし陰陽論での対照力、
反対の性質の力を利用して
反動をつける、
より爆発力を高める効果があることを考えれば
時には「冷やす」ことが必要な気もします。
実際にサウナは水風呂と交互に入ることを推奨されますが、これは陰陽の循環を促す意味合いもある。
温める=緩める=副交感神経を活性化
冷やす=緊張させる=交感神経を活性化
サウナはこの交互を繰り返し
交互に揺り動かしてあげることで
乱れた自律神経を調節することができる。
いくら温めても冷え性が治らない方は
時々思い切って水をかぶったほうが
身体は温まりやすくなるかもしれません。
大事なのはただ温めることではなく、
陰陽をおりまぜて対流を起こして
循環させること。
陽だけではよい循環は起こらない。
その対照の力を持ってして
初めて陰陽は循環を始める。
荒療治にはなりますが笑
モノの本をよく見てみると
「寒冷療法」というのも実際にある。
今の日本人は基本的に冷えがひどいので
温めることがフィーチャーされますが、
一時的な冷えならばむしろ
その対照力は循環をうながして温めるサポート役になる。
頭寒足熱、
足から温めて
頭から冷やす
陽は下から上へ
陰は上から下へ
陰陽の理屈は対照力もふまえて考えたほうが
上手に活かせる。
つまり選択肢はどちらかではなく
両方になる。
大寒⑤〜水の還元力
水と浄化作用で一番大事なことを忘れていた。
良い水には「還元力」がある。
酸化しにくくなる。
鉄を入れっぱにしても錆びない。
そんな効果がある。
地球に酸素はなくてはならないものだが、
その酸素は酸化作用を持つ。
酸化とは腐敗すること・朽ちていくこと
つまり穢れに相当する。
健康産業の言い方をすれば酸化とは
身体に活性酸素が増えることだ。
老化現象をもたらす。
生命は酸素なしでは生きられない。
しかしそれは同時に酸化をもたらす。
それを中和してバランスを戻してくれるのが
水の還元力だ。
ご神水などはその筆頭でいつまでも腐らない。
石を入れればピカピカになる。
とても力があり貴重なものだから
昔から大切に崇められてきた。
ミネラルウォーターも
還元力の高い水は人気だ。
人体の60%が水である以上、
還元力のある水を使うことは
かなり意味のあることだと思う。
穢れと病気
祓いと健康
これらの関係性と関わってくるもののひとつが
水の還元力だろう。
水は身体の穢れ=病気を祓い清め
心身を健康に戻す還元作用がある。
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数年前、
ネパールのNPOで活動している方から
面白い話を聞いた。
首都カトマンズとは違って
ヒマラヤの麓に近い地域では
綺麗な山の水が豊富なため、
水だけで洗濯しても汚れがよく落ちるらしい。
ヒマラヤの水は還元力が高いとのこと。
最近だと巷で「◯◯マグちゃん」など
Mgの還元力を用いて洗剤なしで
洗濯できるグッズもある。
数年ほど使ってるけど水に還元力があれば
洗剤なしである程度汚れが落ちるのは
まちがいない。
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山の水はミネラルたっぷりなので
還元力が強い。
山沿いの温泉や山小屋にいったら
ぜひ風呂場で水を浴びて欲しい。
山水を使っている場合が多いので
その山の水を肌で味わったほうが
身体も喜ぶ。
土地によって水の感触はちがう。
山のきれいな水を沢山浴びれば
お肌がピチピチになるのは
水の還元力を考えれば
間違いないのです。
大寒④〜「対照力」なぜ大寒は寒いのか
大寒から1週間の寒行というのは1年でたぶん最もきつい。
「今年は暖冬」と言われて実際に気温が高めでも
やはり大寒あたりは必ず冷え込むものである。
絶対的には例年より暖かいかもしれないが、
相対的にみれば毎年それなりに気温が下がる。
だから体感的にもなかなか寒い。
最も日照時間が少ないのは冬至だ。
冬至は確かに暗くて寒いが
それに比べて大寒のほうが寒いのは
一体なぜなのか?
そうなるのは陰の中に陽が起こってくるから。
陰が極まった状態では対照として働く陽の力が
ほとんど働いていないので動きが少ない。
陰そのもののパワーというのは
逆に感じづらい状態だ。
ここに陽の力が加わってくると
その力が陰の勢いも加速させる。
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放射冷却による路面凍結は
まさに陰中の陽が働いて起こる典型例だと思う。
昼間たくさん太陽によって熱せられたからこそ
その陽の力が夜に上へ立ち昇ることで
地表からの温度を急速に奪い
夜は極端に冷え込んでくる。
この現象は陰が極まった状態では起こらず、
陰の中に陽が芽吹いてこなければ
起こらない現象になる。
急速に冷却されて成長する霜柱も
陰中の陽を表している。
陽があるからこそ氷が上へ成長する。
陰が極まっていたら、
変化のない凍土のままだろう。
つまり大寒が寒いのは
春に向けて温かくなり始めているからであり
その対照力があるからこそ
より寒くなると言える。
対照力は食べ物で考えるとわかりやすい。
スイカに塩をつけるのも対照力。
お汁粉に塩昆布を添えるのも対照力。
カレーがあるからライスがより美味しいのも対照力。
これらの味わい方は全て「大寒」と同じ
道理といえる。
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対照力という観点で寒行を考えてみる。
5分も冷水に浸かって身体が冷えてくれば
いやでも自身の体内の温かさも感じるし、
生命そのものも感じる瞬間がある。
「オレやっぱり生きてんだな」と。
冷やすからこそ温かさを感じることができる。
滝の中にずっと身を置けば
そこに感じるのは自分の生命そのものでもある。
季節的にみても「陽の種」が育ち始める時期だ。
これから芽吹いてくる陽に対して
より勢いづけるために
陽の種にせっせと水冷たい水をかけ、
陽の成長を加速させる。
陰陽的にみれば寒行にはそんな意味も
あるように思う。
これらを総じて考えると
「美味い」が「対照力」ならば
美味さを追求して楽しむ「グルメ」も
「大寒」であると言える。
ということは…
「寒行」も、
「グルメ」なのかもしれない…
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苦しみ抜いた先に
一筋の光は見える。
苦しみが多いから
楽しみは際立つ。
対照力の働きを考慮して相対的に
物事を見れるようになれば
視点も変わってくる。
「苦しい辛い」
そんな愚痴しか出てこない自分自身を
対照力という物差しで測ってみると
いろいろ疑問がみえてくる。
果たしてこれは本当に苦しいのか?
何が原因なのか?
その苦しいという感覚は
何と比べてそう感じるのか?
その苦と対照となるものを得られた時に
本当に幸せになれるのか?
そこに真実がある。
「苦しい、辛い」と考えてばかりなのは
実は楽なことばかりに囲まれてるから、
苦しさが目立つだけなのかもしれない。
幸せ幸せと願ってはいるが、
その幸せは何と比べての「幸せ」なのか?
本当にそれが望むものなのか?
対照力を物差しにして自らを省みて
そんなふとした疑問も持てなければ
そのうちチコちゃんに叱られても
仕方ないのである、笑
大寒③〜水は中庸であり循環である
水が禊や清めに使われるのは
その性質にも理由がある。
水は中間の存在だ。
pH(ペーハー)は7になる。
1(酸性)〜14(アルカリ性)のちょうど中間の
性質を持つ。
祓うとはフラットな状態に戻すことだ。
性質的にフラットな水が祓いに使われるのは
この観点でも意味があることに気付く。
水は中庸な性質を持って、
私たちの過不足を戻す働きかけをしてくれる。
身体のペーハー調節としての「排尿」も
その媒体は水だ。
水によって身体はきれいに保たれている。
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水は形態も中間の存在だ。
固形↔︎液体↔︎気体
水の形態は温度によって自在に変化する。
氷点下になれば氷として固形化する。
沸点に達すれば蒸気となって空間を自由に
飛び回る。
常温に戻れば液体に戻る。
状況によって自在に変化できる性質は
「空」とも言える。
一つの状態に縛られず、状況にあわせて
自由自在に在り方をさだめられる。
理想的な心の持ち方、
理想的な自分の在り方だと思う。
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そしてこの形態変化によって
水は自然界を循環している。
海から空へ、
空から山へ、
山から川へ、
川から海へ、
その循環の中には
人間も含めて全ての生命が
組み込まれている。
つまり水は循環も意味している。
水という性質を考えてみると
水を浴びて禊ぐというのは
物質的・精神的に中庸に戻す、
自分は世界の循環の中にいる、
そういう無意識への働きかけでも
あるのかなと思います。
水は有り難い存在です。
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。