日祭神社~東征最果ての地に


南相馬の原町区の大甕。こちらに日祭神社があります。天照大神を祀っている。茨城の日立市の「大甕」をはじめ、この周辺に大甕という地名は多くみられるという。その昔日本武尊命が東征のために上陸した際に勧請した、多珂神社が関係しているらしい。「大甕」は人と神の境界線、もしくは蝦夷との境界線を表していたようだ。大甕は原発20km圏の境界線が引かれた地域だ。皮肉にもこの土地の伝説が再現されてしまったようにも思える。こちらの神社、この一週間くらい前にたまたま宮城の塩竈神社で天照の御札を買ったあとにたまたま発見した神社でして(行動圏のすぐそばだったのですが)何やら因縁を感じなくもない神社です。

大甕幼稚園のすぐ近く。6号線の一本中にある。
大甕幼稚園のすぐ近く。6号線の一本中にある。

鳥居をくぐり階段をかけあがる
鳥居をくぐり階段をかけあがる

狛犬、吽
狛犬、吽

狛犬、阿
狛犬、阿

境内も閑散としている
境内も閑散としている

社殿の横には石碑が祀られている
社殿の横には石碑が祀られている

”皇大神”の文字が
”皇大神”の文字が

参考
http://www.t-aterui.jp/fukushima/f-mahukinosato2.htm
http://www2.ocn.ne.jp/~gan_1999/place-name/omika-yurai.html