鹿島神宮はちょっと変わったつくりだと感じた。
南西から北東(裏鬼門→鬼門なんですよね)へかけて走る表参道から入り楼門をくぐると右側に北西を向いて本殿がたっている。
普通大きな神社って鳥居をくぐってそのまままっすぐ拝殿まで続くイメージなのでいきなり面食らいました。
しかも意外とこじんまりシンプル。
香取神宮のほうが迫力があったような気さえした。
さて本殿の斜め向かいに摂社・高房社があり、本殿の前にここから参拝するのが鹿島神宮の習わしとのこと。
最初知らなかったので私は高房社の参拝はあとになってしまいました、汗
高房社の左奥には納札所があり、期限の過ぎた正月飾りなども受け付けてくれる。今回宿主に頼まれ正月飾りを納めてきました。
奥参道を通り奥宮を目指す。
途中に鹿園(かつては寺があった)や末社摂社がある。
翌日にボランティアガイドに教えて頂いたのは、鹿島神宮も思いっきり神仏習合だったということ。
イメージ的に神宮って格式が高いので神道オンリーのような勝手なイメージを持っていたけどそんなことないらしい。(そういえば大分の宇佐八幡宮も神仏習合の名残があると聞いたことがある)
仮殿があるところは護摩焚きをしていた寺があったらしく、いまは表参道沿いに護国寺としてある。
ただ面白いことに仏教の分離に関しては鹿島神宮の場合は他の神社とちょっと違うことを知った。明治維新で起こった神仏分離令がきっかけではなく、もっと以前の江戸時代1677年、当時の宮司と水戸光圀公が「寺を境内から出そう」と意気投合して境内の外に出してしまったらしい。
水戸藩は国の起こりとなる神道を基盤に碩学、水戸学(大日本史編纂)というものに力を入れていたから、おそらくそういう流れで「神仏分離だ」となったように思う。
つまり明治よりだいぶ先駆けて神仏分離を行なったのが鹿島神宮らしい。これは少し衝撃的だった。
奥山道をしばらくいくと奥宮がある。奥宮も比較的大きめだが、趣もあり、個人的にはとても好きな場所だった。
奥宮のお参りが終わるとさらに奥へ。
と、ここで道の外れに不思議な場所を見つける。
大木の下にひっそりと何かを鎮めてるような石があるのを見つける。
恐る恐る近づいてびっくり。
「なんだこのとてつもなく強いの」
とにかくあたまにガンガン響いてくるこの感じはただ事ではない。ものすごく荒々しいものが祀られている。今回の巡業で一番強いものを感じた。
上にかぶさる木を見上げると大きなコブが。明らかに何かが宿っているような様子。こちらもきちんとご挨拶させていただきながら要石へ向かう。
要石で震災安全祈願を。香取神宮にも要石があって「香取は凸形、鹿島は凹形」となっている。この対の組み合わせも興味深い。
奥宮から要石へ向かう途中で十字路になる。左折してまっすぐ行くと、鹿島神宮の真裏口へ出る。右折してしばらくいくと奥山道へ戻る小道があったのだが、そこが意外とオススメ。夏は蚊が多いかもしれないが、今時期なら森の中に少しだけ入れてしまうのでオススメです。
要石をあとにして御手洗池へ向かう。