水上一の鳥居から鹿島神宮へ


香取神宮の散策が終わるとそのまま送迎してくれてる方の家に向かう。

実は今回お世話になった宿主が鹿島神宮の裏にお住まいなのでした。ほんとに裏口から歩いて10分程度の好立地だった。

翌日参拝のつもりだったけど自転車を貸してくれるということでがんばって一の鳥居からいけるとこまで参拝しようと15時に出発。

知人に「水上一の鳥居はここから気を取り込んでる感じがした」と教えてもらったのでそれをまず確認へ。

まずその裏口のすぐそばに氏神の祀られている神社。ここだけでも雰囲気がヤバイ。ただごとじゃないなこの地はと感じました。

特に説明書きも見当たらない氏神様。こんな雰囲気のいい摂社末社が周りにもたくさんある。

10分ほどチャリンコで駆け下りると(やはり結構な坂でした)一の鳥居に到着。住宅街。それ以外なーんもない。鳥居の前も宅地で埋まってる笑。普通すぎる。。。

こんな感じでいいのか!!

とある意味衝撃だったのですが、ここに来るまでも何となく鳥居から流れる気を何となく感じながら何となくたどり着けたこともあり、確かに存在感はある。でも周りは何もなく普通です。でも水上鳥居としては実は日本一の大きさとのこと(厳島神社をイメージしてしまいますよね)。

向かう途中は太陽が隠れていたのですが到着すると丁度太陽が顔を出しいい感じに写真に収まってくれました^_^

西の水上一の鳥居。

ここでGoogleMapを開いて鹿島神宮の位置を再確認。

鳥居と神宮の直線上には何があるだろうか?

ということで鹿島神宮に向かってそれらしい細い道をチャリンコで駆け上がってみました。これも鳥居から流れ込む気を感じて”なんとなく”で、笑

大鳥居からまっすぐ表参道まで道があるかと思いきや、地味な路地が続きます。

これがほぼ直線経路になるはず。表参道の手前で二股に分かれる。

しばらくいくと丘をあがっていくのですが、その手前にあったのが鎌足神社。そこには藤原鎌足(中臣鎌足)が祀られている。鎌足の屋敷跡ということらしい。

鹿島神宮ー中臣鎌足ー春日大社のつながり
中臣鎌足は中大兄皇子の腹心として大化の改新に奔走した歴史上重要人物。さらには中臣氏は神社における祓いを担う一族としての重要なポジションでもあった。そんな中臣氏で有名なのが奈良の春日大社。春日大社は武甕槌神が鹿島から迎えられたのが御由緒の始まりとされている(後に香取神宮から経津主命も迎えられる)。

鎌足の出生地が大和国高市郡藤原常陸国鹿島など諸説あるらしいが、春日大社の由緒とこの鎌足神社を訪れると「ふつうにこっちじゃない?」と直感的にそう思ってしまう。それくらいこの鎌足神社はこじんまりと佇む割には、物凄く圧倒されるものがある。祠の下に蛇らしきものも祀られてるし。小さいけどあきらかに特別な神社。

雰囲気が半端ない鎌足神社

丁度参拝するときに氏子さんらしきおじさんとすれ違ったので話聞いてみればよかった。。。
鎌足神社を過ぎると一気に上り坂に。しばらく登って二股の道を抜けると大通りの表参道へつながる。

表参道には龍神社(龍は雨冠の下に龍という非常用漢字)。境内内外あわせて八龍神ということでお参りしておく。水の守り神は火防せの神でもある。

表参道の龍神社
全部合わせて八龍神。境内にもあったとか。

 

鹿島神宮に残る神仏習合の名残り

この龍神社の手前に護国院という寺院があったのですが、このあとの鹿島神宮でのガイドさんの話だと護国院は境内の仮殿の位置にあり護摩焚きしていたらしい。鹿島神宮も神仏集合なんですね。しかも廃仏毀釈がきっかけではなく、それよりもっと前の江戸時代、1677年に当時の宮司と水戸光圀が意気投合して境内から寺院を出してしまったらしい。というのがガイドさんから聞いた話。

護国院のサイトなどを見ると”鹿島大宮司の意向”とあるのだが、水戸藩は大日本史編纂をはじめとして水戸学を奨励していたから、その働きかけは間違いなくあったのだと思われる。明治の神仏分離令よりだいぶ早い段階で寺を神社から追い出してしまうあたりはさすが水戸藩です。
そんなわけでいよいよ境内へ。境内からは更にミラクルが起こる。