与瀬神社から陣馬山へ

2017年12月23日。

今週は相模湖まで足を伸ばし、与瀬神社〜明王峠〜堂所山〜〜明王峠〜陣馬山〜与瀬神社というルートで法螺貝携えて山を歩いてきました。

まず与瀬神社。ここはかなり穴場です。古くより民間信仰によって建立されたらしいこの神社は与瀬大権現が祀られ、境内の手前には隋神門が。神社の手前には金峰山慈眼寺があるなど神仏習合、修験道を感じさせるステキな神社でした。

一の鳥居をくぐると歩道橋で中央道を渡って境内へ入る変わった作り(実は昔から中央道通る時にこの神社とお寺が気になっていた)これも参道が分断されてしまっているんだなとちょっと悲しくなりました。裏高尾に続き、なんだかこの界隈の山の傷を見せられているようです。

社務所も誰もいない雰囲気。

慈眼寺の門と並ぶ木の鳥居はかなり古めかしく歴史を感じさせます。(表札も「与瀬◯神社」と書いてありきになる)

しばらくいくと愛宕神社を彷彿させるいきなり急な階段。「これ、修験道の匂いがするなぁ」と思いながら登ると隋神門がある。これって権現様のお宮だよね。

日本武尊が御祭神。そういえばこの日は23日、今上天皇の生誕日。

ここで天津祝詞と法螺貝を奏上する。神様の前だと下手ながらに一応最後まで法螺貝を鳴らせるから不思議なものです。

境内はかなり広く摂社末社がいくつかあった。(それぞれが何なのかわからないものもいくつかあった)

この石穴に祀られている神様だけ他より特別な感じ。幸の神。

お宮に向かって左手に陣馬山、明王峠行きの登山道がある。

登るといきなり岩場の道が急勾配に。ここから一気にあがっていきます。少し上がればすぐ相模湖が見渡せます。

登りが終わると平坦な林道がひたすら続く。

終盤に分かれ道があり矢の音峠へ向かう道はかなりの急勾配。そこをひたすら登ると少し開けた場所に。

林道を抜け車道に合流すると、また急勾配になり明王峠はすぐそこに。

明王峠には茶屋がありますが、この日は営業していなかったようです。茶屋の裏手にお不動様が祀られています。戦国時代に戦勝祈願で武田不動明王をお祀りしたようです。

ここから堂所山へ向かってみる。30分ほどで着いたけど、特別見晴らしがいいという感じではなかった。ここも武田軍が鐘つき堂を建てた跡地らしい。

休憩していたおじさんに「それ法螺貝ですか?修験ですか?」と声をかけられた。

堂所山から明王峠に戻り、さらに陣馬山まで足を伸ばしてみる。約2.5km。ここも40分くらいだったろうか。着くと陣馬高原からは龍が舞い降りる富士山が見えました。

茶屋のいい感じのおじいちゃんに「ありゃあ、たいした法螺貝だなぁ」と声をかけられた。修験をやってたどこかのおじいさんのお下がりですからね。年季が入ってるのは見てもわかるのだろう。

ここら高尾行きのバス停へ降りるか迷ったけど、与瀬神社で締めくくりたいと思い、もときた道を戻る。

最後は富士山方面から伸びる放射状の雲。

今回の与瀬神社からのルートはなかなか良い感じでした。ここの山自体がかなり切り立った形なので下に相模湖を眺めるその景色は伊豆半島の様な、海と山が一体になったような山岳信仰を連想させるものです。高尾山周辺は武田や北条所以の言い伝えが目立ちますが、八王城址の深沢山は913年に華厳菩薩妙行が牛頭天王と八人の王子を感得したりと古くから修行に入った山々が連なるようなのでもっと探せば修験道の名残が見つかりそうです。

相模湖周辺のお山、掘り下げていきたいです。

高尾山と比べて感じた違いは別記所感にて。

喪中で迎える元旦

昨年5月に母方の祖母が亡くなり今年は喪中の元旦を迎えることになりました。

それにあたって喪中での元旦を迎える注意事項を調べてみたのですが、色んな説が出回っていてよくわからず、最終的に師匠に確認をとりました。

私が現在修行させて頂いてるのは神仏習合の信仰なのでこれが本来の在り方のベースになるのかなと思われます。

日本の宗教事情のややこしい所は、古来から根付いてる神道があり、そこに仏教があとから入ってきたので、それぞれの作法が完全に統制されておらず曖昧なまま干渉しあってる点だと個人的には思います。

「うちは仏壇があり仏教なので神道は信じてません」という勘違いをされてる方もいるので、その考え方や作法も神道を無視したようなデマもちらほら見受けられます。あくまで日本人は神道と仏教の両方ということを認識しておきましょう。(もちろんキリスト教に改宗してるとかであれば話は別ですよ)

それでは喪中で迎える元旦について、私が気になった点を簡単にまとめてみたいと思います。

考え方のポイントとしては古来より神道は日本人の精神のベースになっています。その基本は祓い清めです。神様は穢れを嫌うので日々私たちは心身を祓い、清めて神様と接することができます。

祓い清め担当が神様=天であるのに対して、仏様=地は穢れ汚れを担当します。お葬式は仏教のお寺さんが担当するように、神は死を嫌いますが、仏は死を丁重に扱い供養します。仏様の智慧の力によって穢れや汚れを分解、消化、そして予防する感じでしょうか。

・喪中はお札を交換しなくていいのか

親族が亡くなって50日間は忌中といって神棚に半紙をはって神様には手を触れないようにします。この間は神棚や神社、寺院への参拝も極力避けて、できるだけ家族以外の人との接触も避けるのが本来の考え方のようです。

50日を過ぎたら喪中にはいり、慶事(おめでたごと)は極力避けることになります。つまり初詣は行かないことになります。

そこで困るのがお札の交換。

お札は年に一回必ず交換しなければいけません。(お札のお御霊は一年分しか入っていないので、必ず年に一回交換しましょう)。

じゃあ初詣に行けないけどお札の交換はどうしたらいいのか?という疑問が出るのですが、どうしても必要なお札は鳥居をくぐらずに境内に入ってお札を交換します。穢れがある期間は鳥居をくぐらずに神社に入ります。

・神棚の準備はどうするのか

慶事を避けるためお正月の神棚に欠かせないお餅はあげません。注連縄はきちんと取り替えます。私の母が注連縄は年末に交換するからか「祝い事」と勘違いしてるようなのですが、注連縄は神棚の上に必ずつける常備品です。(縄が雲、紙垂が四季を表します)喪中は関係なく新年の神棚を整えるために注連縄は必ず交換しましょう。

新年は家の神様へはきちんと挨拶をします。

神道の忌中や喪中などの忌服は本来、氏神神社の神主がそれぞれの家を訪ねて神事を行う形態が基準になっているようなので、現在の事情に照らし合わせると不可解な部分が当然生じます。

また神道と仏教の両方の考え方があわさっていたりするので判断が難しいことも多々あります。

「喪に服す」というのも神道的な観点で見れば穢れを持ち込まないことが主眼ですが、仏教的な観点ではなくなった方を偲ぶ、供養することが主眼にあるので迷った時はその辺を念頭に置いて行動すれば大きな間違いにはならないでしょう。

大切なのは神仏への畏敬と故人への供養の気持ちだと思います。