仏週刊紙テロ襲撃事件について〜フランス人こそ野蛮人だ


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事の真相はよくわかりませんが、メディアの報道を素直に見て素直に感じた素直な感想。

一昨日の仏出版社の襲撃事件について、毎日新聞で記事を読んだ時に感じたのは
「野蛮なのはフランス人ではないか」
ということでした。
(まぁそうじゃないフランス人もたくさんいるとは思っています、他民族国家ですから)

皆さんはこのニュースが流れた時にどう思ったでしょうか。
「やはりテロは怖い」
「フランスも物騒だなぁ」
とか、そんな感じですか?

私はフランスってこんなに野蛮な国なのか。
と正直げんなりしました。

今回の一連の経緯を見る限り、週刊紙がイスラム教を徹底的に冒涜したことが原因です。

イスラムの信仰対象に対して意図的に冒涜したのであれば、襲撃されても仕方ないだろうというのが正直な感想です。

私はイスラム教信者ではないですが、日本の神様を大事にしたい立場の人間です。
ですから今回の事は怒るのは当たり前でしょうと思います。
もちろんそれを理由に報復を与えることはあってはならないことですが、他民族の聖域に土足で踏み込むことほど野蛮な行為はないでしょう。

他民族他宗教を尊重せずに侮辱して、「表現の自由」と豪語する人間のことを文化人と言えるのか。
とてもじゃなないけど言えないでしょう。

現代の日本人の多くは、自由の意味をはき違えているとよく言われますが、フランス人もそうなのかな。

他の自由と権利を尊重せずして、自らの自由と権利は主張できるはずがない。

私は芸術と文化の国と自称するフランスにがっかりしました。

さてさて、しばらくすると世界各国が
「テロは断じて許せない」
と口を揃えて言い出しました。

バカ言ってんじゃない。
その元凶を造り出しているのはあなた方でしょう。

一部の過激派のお陰で危険視されがちなイスラム教ですが、東日本大震災の時だって各地域でものすごい尽力しているんです。
福島にだってすぐ入ってずっと拠点を構えて活動しているんです。
わたしはそういう方々に実際お会いしました。
そこはわかっていただきたい。

今日はウクライナのクリスマス

 

 

‪#‎ウクライナ‬,の伝統的なクリスマスは本日1月7日。
伝統的な過ごし方としては、イブは夜まで断食、
食事は肉類は除いた穀物と木の実などを中心にしたものになるそうだ。

白い装束を着てなんかいい感じ。
女の子が頭にストールのようなものを巻いているが、
女性は教会に入る時に布をかぶって髪を隠さないといけない習慣がある。
‪#‎聖ソフィア大聖堂‬,などの教会を訪ねた時も、ウクライナ人らしき女性は皆髪を隠していた。
そして教会に入る時は皆が十字を切っていた。
十字を切るのは鳥居で一礼するのと同じニュアンスなんだなとチェルノブイリの教会を訪ねた時にわかった。

そういえば今日は参拝客で賑わう神田明神で、一礼する人はごく少数だった。
なんかよくわからないけど神田明神は怒っていた気がするんですよね。
いつもと雰囲気が違う。

脱線しました。。。

メリークリスマス!

チェルノブイリ報告会


今週の日曜に月島でチェルノブイリ報告会を行います。

いつもお世話になっている「がんばっぺ〜中央・佃シニアサロン」にて。

福島から避難している方もいらっしゃるし、福島県職員の方ももしかしたらいるかもしれないので、
やや緊張しています。

どうなるだろうか。
がんばります。

詳細はこちらへ→がんばっぺブログ

「新年おめでとうございます」の意味〜松陰の妹千代宛の手紙より

新年ということで、松陰先生の妹千代宛の手紙に書かれた新年の教えを以下ご紹介させて頂きます。

妹千代宛-安政二年正月元旦(吉田松陰全集、大和書房より)

弟妹の為に新年の祝儀申し候。善く聞き候べし。

先づ新年御目出度う御座ります。宜い御年を召しましたろう。扠(さ)て新年とは、にひなとしと云ふ事ぞ。にひなとは新(にい)な着物、新たな道具等にて考へて見よ、垢も付かず、傷もない立派なものを云ふぞ。

着物や道具の新なは分かりたが、年がにひなと云ふでは、ちつと不分かりではないか。そして又其のにひなが目出度いとは、尚更不分かりではないか。

分からずば申さう。年も古びると垢も付くてや、傷も付くてや、夫れでにひなとしが御目出度いてや。凡そ人といふものは気持ちが難しいもので、節季師走になると成ると、えい今年は今わづかぢや、破れこぶれぢや、来年からこそおのれといふではないか。
夫れが年のあかつき、傷付いた所ぢや。

扠て一夜明けると気がしゃんとして、心からにひなになるものぢや。そこで新年御目出度いではないか。
しかし右の講釈で新年の譯(やく)は分かつたが、まだ御目出度いのが分かるまい。目出度いといふがいったい難しい事ぢやてや。目と云ふは目玉の事ではない、目玉共が元日から出たら、ろくな事ではあるまい。目と云ふは木の芽、草の芽の事ぢやわい。木草の芽は冬至からして、一日一日の陽気(はるのき)が生ずるにしたがうて、草も木も萌え出づるなり。この陽気と云ふものは物をそだつる気にて、人の仁愛慈悲の心と同様にて、天地にとりても人間にとりてもこのましき気なり。
故に陽気が生じて、草も木もめでたいと思ふが御目出度いなり。夫れで新年の御目出度いも分かるではないか。前にも申す通り、一夜明けると人の気がしやんとして、破れ気もきたな心ま皆洗ひ揚げて、人の本心なる仁氣慈悲の心も出てくる事、てうど草木の芽の出ると同じことではなきか。夫れ故新年御目出度うござります。…(以下略)

いかがでしょうか。
妹宛の手紙はどこか微笑ましいものがあるんですよね。