「神仏」カテゴリーアーカイブ

神様のこと、仏様のこと

菊名池弁財天にもあのマークが、、、

先週歩きながらテスト勉強しようと白楽から菊名まで歩いていたら

菊名池で弁財天の神社を発見しました。
お池のそばだし弁天様は不思議ではないのですが、お賽銭を入れようとしてびっくり。
賽銭箱にあのマークが。
波に囲まれた三角マーク。

北条に関係あるようなのですが、
鎌倉の銭洗弁天で始めてこの紋に遭遇しました。

その後日、元箱根の九頭龍神社の手前にある白龍神社に同じマークがあったことでちょっと私のなかでは心がざわついて、以降興味深々なのですが、、、
今度は菊名池の小さい神社に!!
どういう経緯でこのマークなのかが知りたい!!情報求めます!!

ちゃんとお線香が用意されているので、日頃御参りされてる方も恐らく一定数いるようで、もしかしたら講もあったりするのですかねぇ。
少し龍彫りの装飾もなかなか立派で、石像も奉納されてるのでかなり信仰は厚い弁天様なのでしょう。
特徴的なのが楽器を持っているのではなく、

携えてるのは剣と宝珠という組み合わせ。

虚空蔵菩薩のようなサインなんですよね。

丁寧に管理されてます(嬉)
左の柱は下に降る龍。左右で阿吽に。

佃の住吉三神

こんばんは、センシです。

今日はやらかしました。

昨日から心の準備していた月島での行事が実は来週だったのですが、会場に着くまで気づかないという失態💧

手ぶらで帰るのもなんなので

月島の年配のお姉様方を呼び出したところ、

快くお昼に付き合っていただけることに*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*✨✨

「先週出羽三山へ行ったら、

八咫烏を見たのよΣ(゚д゚lll)」

という面白いお土産話しを聞くことができました(°▽°)

さらに待ち合わせの時間までふらりと

寄ったのは佃の住吉神社。
【住吉三神】底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命
先週師匠のもとで「これをあげるよ」と言われて初見で全然読めなかった祝詞を練習したらすごく響が心地よくはまってます。

その中に出てくるのが住吉三神。

八十禍津日神、大禍津日神、神直日神、大直日神、底津綿津見命、底筒之男命、中津綿津見命、中筒之男命、上津綿津見命、上筒之男命、、、、
黄泉から帰った伊邪那岐が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊いで産まれた穢れ祓いの神々。

ちなみに禍(まが)は穢れを指し、

それを清める対の言葉が直(なほ)となるようです。

とてもタイムリーな参拝で勉強になりました🙏
感謝感激!!

ちなみに佃という地名は家康公が、

「漁だけでなく田も作れい!」

→佃(つくだ)となったそうな。

佃にある住吉神社

祭神は住吉三神に神功皇后、徳川家康
境内には龍神社も

神社散策

こんばんはセンシです。
今日はテスト勉強の息抜きに新横浜までぶらぶら。
特に目的もなかったのですができるだけ歩きたいと思い、周辺の神社散策に。

まずは新横浜駅から徒歩5分程度にある蛇幸都神社(蛇骨神社)。

ファミマの前にある小さい神社で由来もいまいちわからないのですが、掲示板にお祭りの告知があったので、地元で大切にされてる神社のようです。
蛇神様に龍神祝詞となぜか十種神宝祓詞でご挨拶。
ついでそこからさらに10分ほど歩いて、前から参拝したかった岸根杉山神社へ。

こちらは篠原八幡神社の管轄になっているので社務所はないのですが、拝殿ががんじょうそうな造りでした。

岸根杉山神社

手水舎の龍が愛嬌ありすぎ、、、

祭神は五十猛命、大山祇命。

五十猛命は大永5年9月(西暦1525年)伊豆の国の住人岩田五郎右衛門がこの地に移住した時に鎮守として勧請したとされる。

大山祇命は大正13年10月(西暦1924年)山王山に鎮守せし由来不詳祭神の大山祇命を合祀。
大山祇命がかなり謎な感じですが、八幡山含めこのあたりの山は興味深そうです。

麓にある二体観音、陶芸教室などが謎な雰囲気を醸し出していてカオスな感じでますます気になってきました。

折りを見て突撃したいなぁ。

やっと彼の話を聞けたのかも

週末の同窓会シリーズ。
お彼岸だからなのか、なにか仏様に呼ばれたような出来事がもうひとつ。
二次会で話しかけてきてたK君。
当時は全然話したこともなかったけど、実は地元の接骨院で鍼灸師として働いてると聞き話が盛り上がる。

しばらくすると

「この高校入ったの同級生がなくなったからなんだよね。だから不相応だった気がする。。。」
ん?

「突然の出来事がだったからびっくりだったんだけどさー、親父さんから息子が入りたかった高校に進学してくれたら嬉しいと言われたら入るしかないと思って当時はがんばったんだけどね。」

なんか時期を推測すると似たような話をひとつ知っていた。
僕はふと昨年久しぶりの再会をした小学校の担任O先生を思い出した。

僕たちを受け持っていた時に同い年の息子が心不全で亡くなっていたから。

ちがったらどうしようと不安になりながらも、そういう事故死はそんなにないはずなので思い切って切り出してみた。
「それってもしかして、O先生の息子さん、、、?」
ビンゴだった。
僕は何も接点はなかったのだけど、当時の先生のいたたまれない様子を見て心苦しかったので、顔も知らないのに彼が気になっていた。
昨年先生に再会してお元気そうだったのでちょっと安心していた。
まさかこの場で当時の同級生と話す機会があるなんて!!

不思議な縁を感じた。