「featured」タグアーカイブ

大菩薩嶺の龍

7月14日。

大菩薩湖の龍。

神部岩で大菩薩湖に向けてご供養の法螺貝。

甲武信ヶ岳に行くつもりだったけど、

なんとなく朝の流れで大菩薩嶺へ。

さくっと調べた限りでは

信仰の名残などもほとんどわからなかったけど

大菩薩湖がダムであることを思い出しふと気付いた。

ダムに沈められ眠る歴史は沢山ある。

ここもきっとそういう場所なんだろう。

そんなことを考えながらのお山は、

途中からだいぶ雲がかってきたけど、

ここだよと言わんばかりに

なぜか大菩薩湖だけは常に日が差し続けていた。

また来るよ。

(あとでわかったのだけど、ここはこの地域に暮らしていた金山衆による妙見信仰があったらしい。北斗七星の龍?》)

筑波山の禅僧さま

先月末、月初に訪れた筑波山の件で気になっていたことがあったので師匠のもとへ。

どうもお坊さんがついてきている。

筑波山の上はとても清々しかったけど、行きも帰りも麓の道に差し掛かると浮かばれない御霊がどうも沢山語りかけてきて、頭が痛くなる。

これ、下調べでなんとなく予想はしていたのだけど、麓だけこんな感じになるのが予想外だった。筑波山は大昔から性に寛容な面があったらしく、そういう風習もあった名残で、江戸時代には遊郭に通う僧侶も沢山いたらしいので、そういう関係の浮かばれないお坊さんなのかなと予想してのご供養修行だっのですが、、、

師曰く、

「あんたの修験の先祖も出やすいだろうから、やっぱり陀羅尼かねぇ」

といわれ仏頂尊陀羅尼と大悲心陀羅尼がセレクトされた。最近後ろのお方がやりたがるので日課でも必ずあげている陀羅尼だ。

今回は理趣経をやる気がしていたのでちょっと意外だった。このふたつの陀羅尼だと内容的にも早く終わりそうだし。とかんごえるのは早計だった。

「の〜ぼ〜ば〜ぎゃ〜ば〜て〜」

仏頂尊陀羅尼から始まると、なかなか終わらない。

何度もループする勢い。

陀羅尼が止まらない。

なんとなくまだまだあげ足りない、上がりたい方が沢山いるような感覚。

なんだこれ、大丈夫かな。

あがりたいお坊さんの供養だと思っていたのに、なんかとんでもない数がいらっしゃる。

数回繰り返して大悲心陀羅尼へ。

これも3回ほど巡ってようやく終了。

師曰く、

「いっぱいあがったねぇ。あそこで供養してる途中に死んじゃった禅僧だったね。中途半端になった成仏できなかった人達、あんたに手伝ってもらってみんなあがっていったねぇ」

あー、なんかあげてもあげても終わらない感じはそういうことだったのか。後ろに沢山控えていたとは。。。しかしそんな禅僧さまだったとは。堕落したお坊さんと思っており大変申し訳ありません。まだまだ修行が足りない。

しかし禅僧殿のお手伝いができこちらも行者冥利に尽きますぞ!!

「このお坊さん、あんたに入っていったから。あんたといれば修行できるからね」

なに!?これは初めての展開…。昨年もとある頼りないお坊さんからこちらにうつってきた前科ありの入道がいたけど、まさかちゃんとしたお坊さんがこちらにいらっしゃるとは。有難いお話。

ご先祖様たち共々これからも宜しくお願いいたします、禅僧殿。

ますます陀羅尼に励まねば。

<供養>

仏頂尊陀羅尼

大悲心陀羅尼

後悔のない人生を生きる

新盆。

お盆はご先祖様はもちろん、

無縁仏やご供養が必要な方もわらわらする時期。

そんな時期になってきたからなのか

先日某所の解剖見学でとあるご献体と遭遇。

何やら思い残すことがあるご様子。

師匠のもとでご供養のお経をあげさせて頂いた。

こんなとこでも出逢いがあるとは。。。

人との出逢いで学ぶこともあれば

通りすがりの仏様との出逢いで

教えを頂くことも最近は増えてきた。

この日はもうひとつ、

心を閉ざしてしまった友人に向けて祈祷もさせて頂きました。

2つの案件に共通するのは自分と向き合うこと

願わくば残すのは清々しさ、

もといきよきよしさ。

後悔しない生き方を。

死んだあとは未練なく

清々しい気持ちで身体をほっぽって

上に上がりたいものです。

後悔しない生き方とは

なにかを成し遂げることより

自分を大事に生きること

自分と向き合って生きること

自分をゆるすこと

自分に正直であることなのかもしれない。

そんなことを考えさせられました。

〈祈祷〉

般若心経

観音経

大悲心陀羅尼

〈供養〉

大施餓鬼

仏頂尊勝陀羅尼

朝の御霧夕の御霧〜大山阿夫利神社

日曜はちょっと重たい本をどうしても読み切りたいがために足を伸ばした。

湿度は苦手だけど

この日のような山中の霧はちがう。

龍のお山の霧。

水龍の祓いの中を進む。

水に包まれながら登っていると

体内と体外の循環がスムーズになるのか

あまり水を飲まなくても

力が湧いてきて

集中力も途切れない。

水を通して何かを取り込んでるのがわかる。

霞を食うとは

この延長線上なんだろうな。

以前、金峰山でもこんな感覚があった。

結局何も食べずに麓まで駆け下りる。

ドロドロの道でも足運びはスムーズ。

ひさびさに天狗がやってきた感じ。

下山したら空も晴れ晴れ。

今月は大祓月間なだけに

梅雨の中、佳き半日だった。

科戸の風の天の八重雲を

吹き放つ事の如く

朝の御霧 夕の御霧を

朝風夕風の吹き拂ふ事の如く…

此く佐須良ひ失ひてば

罪と云う罪は在らじと

祓へ給ひ清め給ふ事を

天津神国津神八百萬神等共に

聞こし食せと白す

今日はありがとう大山◎