健康にも関わる重要な話として
“誰かのため”は病気になる危険な思想である、
ということを挙げておきます。
お国のため→戦争
社会のため→共産主義
子供のため→毒親
あなたのため→自己否定してる自分の正当化
自分のために生きることが
責任を転嫁しない健全な生き方であり、
自分のためだからこそ
相手も快く施しやお節介を享受できる。
“誰かのため”は偽善者のいい訳でしかない。
やりたいからやるのだ。
自分の柱があるから
そこを中心に世界を作れる
自分の柱があるから
誰かを助けられる。
そこをはきちがえてはいけない。
“自分のために”がない
“誰かのために”は
脆くすぐ崩れる。
つまり相手にも迷惑をかける。
“お互い様”があるようでない。
自分主体でなければ
必ず責任をどこかで投げ出す。
裏を返せば”逃げ”があるから
誰かのためと理由をつける。
そうではない。
やりたいからやるのだ。
自分を生きよ。
これはこの同調圧力の蔓延する
いまの状況下においてもいま一度、
自分に投げかけるべき
問いではないでしゃうか。