行者の修行してる中で自分のご先祖様のことがわかってくることがしばしばあり、それが面白さの一つなのですが、今日は久々に出た。
福島の方の相談したあと「そういうことなら今日はこれかしらね」と出されたお題は浄土宗のお経本にある「小消息」。
内容としては法然が阿弥陀仏を唱えれば例え罪人だろうと救われる、という教えを短い手紙にしたものらしいです。
これをあげて修行が終わると先生曰く、
「あなたの先祖は九州で迫害されたキリスト教徒みたいね。マリア信仰だったみたいよ」
いやいやいや、、、実はつい先日ネットでウクライナからロザリオを取り寄せてました。
現地で見た数珠っぽいのが急に気になって。
(またか、、、)
年末の数珠と似たパターンになる。
こうやってどうもよくわからない衝動にかられて動かされることって時折あるんですよね。
しかもウクライナ正教について昨年ウクライナを訪問した時は、通訳の人の話だと「聖母マリアを重んじます」て話だったんですよねぇ。
人生で度々私にちょっかいを出してくるキリスト教の真意がなんとなく明るみになってきた気が。
度々僕の前に現れて、いつも気になりながら生きてきたのですが、、、
鍵はマリア様らしい。
さらに先生曰く
「でももう片方の先祖はマリア信仰者を迫害してたみたい。取締まる側だったのよ。」
(え!?複雑、、、)
相反する立場が混在してる自分に対してなぜかダイの大冒険のフレイザードを連想。
マリア信仰のご先祖様たちは観音様に十字を刻んでマリア様に見立てた「マリア観音」を拝んでいたとか。見た目がそっくりですからね。
「マリア観音」
この響きカッコいい。
マリアカンノン
いずれどこかでマリア観音像に出逢ってしまうのだろうか。
「ほら、この蝋燭、みんな逆さに吊るされたりしたのねぇ。」
いつもとまた違い溶け落ちた蝋燭は凄い形になっていた。
最近ダークツーリズムのネタとして米沢のキリスト教徒殉職のツアーを考えていたりもしたもので、すごくタイムリーな時間でした。
そんな先祖供養だった春の昼下がり。
Facebookにこの件を書くと福島の方から「南会津の道ばたにはマリア観音がみられる」との情報が。
よくよく調べてみるとキリシタン大名が会津藩主になっていた時期もあるようで、かならキリスト教には縁が深いようなのです。
会津、米沢とキリシタンの歴史はかなり深そうです。もしかしてこの件を掘り下げるのも修行なのかな。