「神仏」カテゴリーアーカイブ

神様のこと、仏様のこと

ところで「お礼参り」って行ってますか?

神社へ参って

神様にお願い事をするということは

神様と契約を交わすということ。

それは同時に自分自身との契約、

誓約でもある。
そしてもし願い事が叶ったのならば

その報告とお礼に改めて大願を成就させていただいた神様に参拝をするというのが本来のスジです。

「感謝」が根底にある神道ですから、当然といえば当然ですが、意外と知らない方もいらっしゃったり。。。
こんなに神社にお参りいってるのに

なんで願い事は叶わないの?


と泣きたくなっている方は

ご参考ください^ ^
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煩悩行者の修行三昧

お彼岸〜陰陽のバランス

お彼岸ですね。
お彼岸は日本独自の仏教行事で春分、秋分の日のそれぞれを中日とした7日間に「彼岸会」を行います。
日本独自なのは春分・秋分の日に太陽の方向を拝む「日願」という日本古来の風習があり、それが西方浄土を信仰する浄土思想と結びついて人々の間に広がったとか。
昼夜の長さが等しくなる春分・秋分の両日は、古くから万物のバランスが最もよくなると信じられてきました。陰陽が等しくなるポイントですね。
私の場合、お彼岸に対する意識は昔からあまりなかったのですが(仏壇のお供物くらい)
福島の方と関わるようになってからお彼岸を

とても意識するようになりました。
3月になるとみなさん口を揃えて

「お彼岸」の話をし、

お彼岸になると墓参りのための帰省で大移動でバタバタして忙しそう。

いつのまにやら、とても季節を感じる印象的な節目になってます。

まぁいまや修行が始まってから先祖供養は外せない項目になっております。
ぜひ陰陽のバランスを感じながら、ご先祖様の供養をされてはいかがでしょうか^ ^
※彼岸は「完成された仏の境地」を意味するサンスクリット語の波羅蜜多を訳した言葉。

私たちが住む煩悩や生老病苦にまみれた「この世(此岸)」から、阿弥陀如来の坐する極楽浄土(彼岸)に渡ることで、煩悩から解放され悟りの境地に至るという救いの言葉でもある。

鹿島神宮(後編その2)

奥参道から戻り、お札や御守りなどを見てまわる。

鹿島神宮はちょっと珍しいものが沢山置いてましたね。

一番気になったのが九星の各星の御塩守

この前の週に丁度、合同修行で星祓いがあったのでタイムリーでした。

今年の星厄の知人友人向けに買ってしまいました。

鹿島神宮の御塩守

ほかには鹿島神宮にかつていた物忌(女性神主)が使っていたという物忌護符なんていうものもありました。

物忌護符

お清めの砂もありました。

翌朝、再度参拝にきて鷲柄の御朱印帳が気になってしまい御朱印デビューしてしまいました。今まで御朱印なんてもらったことなかったのに、、、

鷲の御朱印帳。鹿とか欲しかったな。相川七瀬デザインの御朱印帳なんてのも。

鹿島神宮、一ノ宮の御朱印

鹿島神宮、奥宮の御朱印

御朱印を頂いてからその奥の祖霊社へ。ここもまた厳格でいい雰囲気でした。

祖霊社に光が差し込む

最後に楼門を出て右に摂社が並んでいる。

熊野社、祝詞社、津東西社、須賀社(素盞嗚)、坂戸社・沼尾社

1つ1つきちんと拝ませていただき、鹿島神宮の参拝を終えました。
境内の宝物館も狭いながらかなり見応えがありました。 

かつてこのあたりは砂鉄がとれるため鍛治が盛んで、その時に作られた巨大な長剣や美しい馬具など色々ある。

その中でも異質な雰囲気を放っていたのが悪路王の首。かつて蝦夷の防衛線へ攻め込んできた大陸系の民族。アルテイ族とも追われている。

悪路王。ネットから拝借

その作り物の首を木桶とともにレプリカで作っている。魔除けの儀式的な行事があったのだろう。かなり生々しいものが神社にあるのが面白いですね。
そんなわけで鹿島神宮、大変興味深い参拝でした。 感謝です。

鹿島神宮(後編)

御手洗池をあとにし奥参道を戻ると

強烈な光が差し込む。

光の道

そのまま光の道に入ってみると

全くまわりが見えなくなり完全に光に包まれた状態でしばらく異世界を彷徨い歩く。
最初こんな写真を撮ったりして面白がっていたのだが、そのまま歩き続けるとものすごい熱と光で何も見えなくなる。

強烈な光に包まれる

「なにここ、異世界、、、か、幽世?なんにも見えないぞ〜、、、このまま帰ってこれなくなったりして」

と不安になりながらしばらく歩いたが、またもとの現実に戻った。
神社を訪ねると何かしら起こることが多いこの頃だが、この日は格別にすごかった。
太陽の光は、丁度参拝前に訪ねた西の一の鳥居の方向からきていた。

やっぱり一の鳥居からここまできて正解だったらしい。
ありがとうございます!!