「神仏」カテゴリーアーカイブ

神様のこと、仏様のこと

祈願解除

病気平癒の祈願解除。

願をかけた方が亡くなった場合、

お札は自動的に抜けると思いきやそうではなかった。

師匠のところへ持っていき確認して良かった。

「ちゃんと解除しなきゃだめでしょ」

お礼をして、

寒川様の御霊を抜いて、

阿弥陀経でSさんのお父様のことを仏様によろしくお伝えする。

49日までは魂は身内を訪ねたりするから、いきなり成仏はさせては可哀想、とのこと。なるほど。

「Sさんは思い残すこともなくちゃんとあがれるって。娘のこと、話を聞いてやってくれって言ってたわよ。」

まぁそこは心得ております。受け給う。

願は解除しないと死ぬまでかけられたままになるので、きちんと神様にお礼をもうしあげて解除しませう。

やりっ放しの願って結構あると思うのですよね。それが支障をきたすことだって当然あるわけです。

【今日の内容】

・天津祝詞

・大祓祝詞

・般若心経

・阿弥陀経

小手姫神社祭典〜その④

小手姫

大伴連糠手(父)

錦代姫(娘)

祭典の神拝詞では小手姫のほかに父の大伴連糠手と娘の錦代姫もあわせ三神で拝した。

直会が終わり、小手姫様へ挨拶して帰る前にひとつ寄り道をした。

大伴連糠手にまつわる場所とされるお不動様へ案内された。

案内していただいたのは茨城のNさん。

実は昨年、小手姫神社を訪ねた時に「うちに毎年くるN君て子がいて、秋の峰行く予定だよ」と宮司さんから教えていただき峰中に会えるかなと楽しみにしていた。

結局都合で参加できなかったらしく、峰中で会うことはできなかったけどこの日ついにお会いすることがかなった。

ここへ来れば会えるんじゃないか、そんな氣はしていたのだけど。

Nさん曰く「忙しくてとても行けるような状況ではなかったんですけど、やっぱり今日は行かなきゃいけない気がして無理やり来ました、、、」

祭典から直会までの出来事を考えると、そんな感じになるのも致し方ないとおもう。

小手姫様とおじいちゃんは妙な引きの強さを持っているんだもの。

そしてこの日ようやく出会えた。

案内されたお不動様ははいつも気になりつつも通りすぎる磨崖仏の場所だった。

Nさん曰く、裏に管理人さんの家があるのだが、とある事件でお亡くなりになられたとか、、、妙に気が進まなかったのはたぶんそのせい。。。

一緒にお不動様を拝んだあとNさんは色々教えてくれた。

小手姫様が使ったとされる晒し石がある川の少し下流に佇むお不動様。

お不動様だけにここら辺にかつては滝の行場があったんじゃないかともいわれているらしい。

また、ここにもともとあった御本尊はその昔ある人に持ち出され、米沢と福島の県境手前にある某不動尊に今はあるといういい伝へがあるらしい。

その不動尊は昨年妙に氣になりちょうど訪ねていた。

もしかしたらこことの繋がりだったのかもしれない。

色々思いを巡らしながら米沢へ帰る途中、

ふと脇を見るとその不動尊の看板がちらりと目に入る。目に入ったら気になるので足を運ぶ。

「あのぉ、、さっき、、ある人から教え頂いたんですけど、、、月舘からお引越しされたんですって、、、?」

Nさんとの出会いによって、小手姫伝説からお不動様へ謎のシフトが起こって一日が終了した◯

月舘にも出羽三山講があるのでここにも湯殿山の石碑などが。

小手姫神社祭典〜その③

小手姫神社〜その③

直会でおじいちゃんの小手姫伝説の伝承を聴き終わったあと、出羽三山神社の宮司さんと少しお話しさせて頂いた。

「法螺貝見せてみろ」

という話しになり見て頂いたら

だいぶ古い法螺貝じゃないかということだった。

吹き口が木のものは昔の法螺貝らしい。

貝の厚みも最近のものより厚いとか。

(製作中の貝と比べてみたら確かに厚みがちがった…)

先輩山伏のお二人も

「どうしたのこれ?」

「ヤフオクで、、、一万三千円です」

「もう一回ヤフオクに出したら◯十万円かもよ(笑)」

と冗談半分に言われかなり有難い落札だったのかなと改めて思った。

平均相場からみて安めの落札だったので期待はしてなかったけど、手元に届いた時はかなり驚いた。補足説明にあった修験をやってた出品者のおじいちゃんの顔が浮かんできたくらいなので、、、とんでもないものがやってきたなと。

ただその反面こういう「修験をやってた親族の形見」がネットで売りに出されているという現実があり、それはそれでちょっと悲しいことでもある。

本来なら誰かに受け継がれていくべきものなので。

そういう想いも感じたので、

「修験のおじいちゃんの続きをやらせて頂きます」という気持ちで使わせて頂いてます。

ある意味これがご供養でもあるのかなと思っている。

これもなにかのご縁なのでしょうね。

※写真は今年の1月、甲斐大和の石尊大権現のお山へ。山伏の先輩と。

チベット・ケサル大王伝の語り部たち

5月1日

チベットの伝説の英雄・ケサル大王を語り継ぐ語り部のドキュメンタリーを見てきました。

気合い入れて臨んだわけでもないですが、開始2分で涙が落ちてきました。奥底で懐古かなにかを感じたのでしょうね。

チベットの信仰についてはホワンとした理解しかしていませんでしたが、つい先日仏教伝来の時期は日本とそれほど変わらないことを知り新たな興味が湧いていた矢先だったのでとてもタイムリー。

特に興味深かったのは語り部たちのケサル大王伝は古来から神懸かりで継承されており、ある日突然、山の神や僧侶が現れて書物を渡されて語れるようになった、、、という方々が半数はいること。(といっても現在総数はわずか20名ほどらしい)

装束の王冠をかぶるととたんに流暢に語り出す姿がなんとも神々しいのでした。

それが特別修行などをしてきた人ではなく、

学校も殆ど通っていない遊牧民だったりするので(文字もあまり読めない)、

そこはやはり清い環境で清い心が育っているからなのだろうなと感じました。

今回驚いたのは仏教伝来から現代に至るまでの信仰の変遷が日本となんだか似てること。

八百万の神のように万物有霊とするボン教という自然信仰があり、そこへ仏教を取り入れいまのチベット仏教と呼ばれるスタイルになったのは日本の神仏習合と形としては少し似ている。

古来からの自然信仰に仏の智慧が融合し、人々がより良く生きられる。

自然とは純粋が故に荒ぶることもある、それをうまく諌めるために智慧も必要だから仏教が導入された、と考えるこの頃。

仏教はパワースーツのようなもの。だから分離や弾圧をさせられる。

そこから時を経て文化大革命での仏教弾圧で破壊された寺院の傷ましい有様は明治の廃仏毀釈のようだった。

日本とチベットを見ると、近代化・資本主義化したい支配者側からすると自然崇拝と仏教の融合というものは1番厄介なものらしい。

2008年の四川大地震ではチベットも被害に遭い、その後の復興で近代化が進み、環境が破壊され、みんなスマホを持ち遊牧民の伝統生活もガラリと変わりつつある、、、このような状況下で果たして語り部は受け継がれていくのだろうかというのが今回のドキュメンタリーの主眼だった。

自然崇拝をする地域にとって

近代化により自然と疎遠になるということは

神と人が疎遠になっていくということ。

これは日本がすでに経験してきたこと。

日本が明治以降150年くらいで経験してきた近代化と信仰衰退をチベットは半世紀ちょっとというもっと短縮された期間で急速に経験している。

ドキュメンタリーを見てるとどうしてもチベットに日本が重なり、そしてその行く末が心配になるのでした。

それにしても映像に出てきた

タルナ寺のお山は修験派としてはとても気になる所でした。

素晴らしすぎる。

行ってみたい。

https://www.facebook.com/events/404312323374062/?ti=icl