”お客様は神様だ”
横暴な消費者が蛮行を振る舞って問題になっていますが、サービス提供する側も受ける側も、「神様」の意味を勘違いしているから起こっている問題じゃないかなと思います。根本的な問題の話です。日本という国を形作ってきた「神様」に対する認識がおかしくなっていることが問題。
そもそも神様ってなんなのか。一番大切に敬うべきものではありますが、暴力をふるうような権力者などの「偉い」とは根本的に違います。
神様っていうのは時には教えを頂き、時には真摯に頑張った人間に首の皮一枚のお力添えをくれる。そういう存在だから、権力者としての「エライ」とは違うはずです。
「お客様は神様」っていうのはそういう”教えを頂ける存在”だから大切にしなさいっていうのが本来の意味だと想うのです。その根本的な部分を理解しないと話がおかしくなる。これは古来からの日本人の考え方なのに、現代の日本はやはりそれが失われているんですね。
時として自然という神様は猛威を振います。時として神様は想像を絶する厳しい試練を人間に与えます。でもそれは利己的ではない。富でも権力でも欲のためでもない。誰のためか。それを受けるあなたのためです。
一方、神様気取りのお客様は、自己都合で振る舞っているだけでしょう。お店や店員のことを心から心配して叱責しているわけではないでしょう(そういうきちんとした人格者ももちろんいらっしゃるとは思います。)ましてや感謝の気持ちなんて微塵もないんじゃないだろうか。だから、そんな神様は日本にはそもそも存在しないんです。神様に対しての基本的な考え方って「感謝」この一点だけなのですから。
神様という尊い存在が日常生活から、日本人の心から消えかかっている日本においては、一部を除いて、お客様=神様という図式は成り立たない国になってしまっているんじゃないでしょうかね。凄く残念なことなのですけど。「お客様」と呼ばれるべき人間が減っているんじゃないかなぁ。そんなことを考えました。
あなたは日本人らしい「お客様」として振る舞えていますか??
(自戒をこめて)
元旦から朝の寒行を初めて16日目に突入しました。
これをどこまで続けられるかが、ぶっちゃけ今年のまず最大の目標です。
寒いのは嫌いなのですが、やるとやはり心がクリアになります。
色々受けてしまっていることに気がつくこの頃ですが、朝の禊でさっぱりとれます。
さっぱりとれるので、何か異変を感じると感じやすくなってきました。
感覚が研ぎ澄まされているのを段々認識してきました。
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わたくし、八幡様にご縁があるようなのですが一度は大分県の宇佐八幡宮へは行きたいと思っています。
家の近くには篠原八幡神社という鶴岡八幡宮から勧請されてきた八幡様がいらっしゃいます。
そしてその横の稲荷社にはなぜか”御嶽山“がご一緒していらっしゃるようなのですが、由緒をまだ確認できておりません。
一度社務所の方に「あそこのお稲荷様って御嶽山の神様もいらっしゃるのですか」と尋ねてみたら「ああ、あれは昔この一帯が農家だったからお稲荷さんがいたんですよね。区画整理でここに移ってきたのです」と御嶽山は完全無視で説明されてしまった。。。どうも詳細はご存知ない様子。
別の日にこの稲荷社の前でお経本広げながら印を組んで手を合わせてるおばあちゃんがいたのですが、邪魔するわけにもいかず、待ってる時間もなかったのでその場は帰ることに。講とかあるのかなぁ。
この篠原八幡神社にある”御嶽山“の謎を是非に突き止めたいと考えております。情報を求む。
新年、寒行を初めて12日目に突入。
段々感覚が研ぎすまされています。
今日は久々にデートで鎌倉をブラブラ。
ランチ(イタリアン。どこだったかな)とスイーツ(雲母)は物凄い当たりで大満足でしたが、結局なんか神社やらお寺やら行きたいとこ行ったため挨拶まわりみたいな1日に。
初の銭洗弁財天宇賀福神社、鎌倉大仏、長谷寺、御霊神社、御嶽山の霊神様がいる神社、鶴岡八幡宮などなど。
そして「あまり近づきたくない」ような場所をいくつか発見。
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山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。