「山伏日記」カテゴリーアーカイブ

平成最後の晩餐。

朝なかなか起きられず、今朝の勤行はなぜか10時から。

平成終結の感謝とともに明日からの始まりを私も祈らせて頂きました。どうやらプリンスも一働きした模様。

無事に今日が終わるように祈らせて頂きました。

そのあと午後は今年もお客様をご紹介頂いたりと大変お世話になっている方のお宅で施術のお仕事。平成最後の晩餐もそこの奥様の手料理にありつけ有難い限りです。

そして明日は令和元日の禊に滝行へ。自らの禊祓いが目的ではありますが、観音崎の龍神はそれだけでは終わらないと思うので、新元号の幕開けの祈りもさせて頂くつもりです。

天気が荒れませんように。

【承認欲求というクセもの】

承認欲求ほど面倒くさいものはない。

他人事としてみれば可愛らしいともとれるけど、本人の苦しみを考えるとやはり

これほど厄介なものはないと考えてしまう。

現世の中で

永遠に地獄を彷徨うのが

人に対しての承認欲求を求める続けることだとすら最近は思う。

自分は昨年、

八海山から降りた翌日に

師匠のもとへ行った際に、

自分の承認欲求は神様に対して異常に強いことに気付いてしまいました。

神様に認められないと満足できない、安心できない。

そうなるといくら人から認められても満たされない自分がいることになるので、

人にたいする承認欲求は手放すことにした。

神様から認められないと満たされない、

それは言い換えれば自分が自分を認めないと永遠に満たされない欲求とも言える。

生き辛さを生み出すのも

空回りさせるのも

人に対しての承認欲求が

だいたいの原因じゃないのかなと思います。

人間関係においてうまく噛み合わないのは

承認欲求が行動基準になってるケースがほぼ。

自分が自分を認めることができないから

それを承認欲求として外に求める。

が、それはもともと答えのないフィールドに

わざわざ答えを探しに出かけるようなもの。

終わりのない狩に出かけるくらいなら

内側を満たしていく術を考えて

実行していくほうがはるかに楽。

本人のためにならないので

承認欲求はガン無視、

これは自分のマイルールです。

明日は我が身と思うこそ

この世は諸行無常。

私たちはいつどこで死ぬかわからない。

各地の霊山へ赴く修行者はいつ死んでも大丈夫なように白装束を身に纏いました。

そして途中で力尽きて死んだ方も沢山いらっしゃいます。

そして明日は自分がそうなるかもしれない。明日は我が身。

そう思うからこそ、道端で浮かばれない仏様と出逢えば、その方が成仏できるように手を合わせてお経をあげるのです。

身体がなくなってしまった魂は実体の世界では何もできません。私たちが代わりにお手伝いしなければお経もあげられない。

そしてもし明日自分が突然死んでしまったら、同じ状況になるかもしれません。思い残しややり残しがあって成仏できない状況になるかもしれない。そうなった時、助けてもらえるのは実体世界にいる人たちだけです。

道端の仏様に手を合わせるのは、巡り巡って自分のためでもあります。

そしてここまで説明した時、興味津々に心霊スポットへ足を運び「幽霊っているの?」「ギャー出たー!」という行為がどれほど心無いことなのか少し考えて頂けるかと思います。

TV番組の心霊スポット特番で「悪霊退散」とかやってますが、あれほど野蛮な番組もないです。

ああいう場所に留まる霊は好き好んでそこにいるわけではなく、何か辛い想いや強い想いがあってそこに留まっています。悪霊ではありません。祓えばいいものではありません。その想いを慮ってこその人としての優しさであり、本来私たちが備えている仏心とも言えます。

ぜひ浮かばれない仏様が留まる場所に訪れたら手をあわせて下さい。般若心経をあげれば、尚のこと喜ばれることでしょう。

「全員集合!」彼岸、墓地での祓い

3月はたぶん一番慌ただしい月です。普通に生活してるはずなのに、気付くとひたすらお経をあげてるような感覚に陥る。

東日本大震災とお彼岸。この2つがあるので、黙っていてもお経をあげる機会が必然的に多くなってきます。

今日もお彼岸で津田沼のお墓詣りへ行ってきましたが、墓前でお経をあげはじめると蝋燭がどんどん飛び散って祓いが始まってしまった。

ご先祖様の供養で来てるのに、こちらが供養をしていると周りのお墓の仏様たちもみんなこちらが気になるのですよね。注目の嵐。そこは仕方がない、寧ろお手伝いさせて頂ける喜びを持って、来るもの拒まず、大歓迎でお経をあげさせて頂きました。

「さ、プリンス!やるよ、お願いします!」

観音崎の龍神のお数珠をもって供養開始。

うちの親戚が置いていったものもありましたが、蝋燭を見る限りでは周りの困っている方々も沢山便乗されたご様子。

途中からあげながら「婆ちゃんたちの供養に来てるんだけど、しょうがないよね。悪いけどちょっとこの方達あげるの付き合ってねー。お世話してあげて、笑」と話しながら、婆ちゃんとの共同作業。

私の生まれる一年前に亡くなった父方の祖母は、晩年に骨肉腫で苦しみ、点々と治療家を探し歩いた末にどこぞの行者の先生のもとへ通っていたらしい。

そういう信仰のある祖母だからこそ、一緒に手伝って頂ければ祖母の霊格もあがるというものです。

本来なら阿弥陀経で十分なのですが、我が家だけでは収まりそうもなく、スペシャルアレンジでの彼岸供養でした。

南無阿弥陀仏。

今日のお経

・般若心経

・自我偈

・阿弥陀経

・阿弥陀如来根本陀羅尼

・九聲念仏

・菩提和讃