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明日は我が身と思うこそ

この世は諸行無常。

私たちはいつどこで死ぬかわからない。

各地の霊山へ赴く修行者はいつ死んでも大丈夫なように白装束を身に纏いました。

そして途中で力尽きて死んだ方も沢山いらっしゃいます。

そして明日は自分がそうなるかもしれない。明日は我が身。

そう思うからこそ、道端で浮かばれない仏様と出逢えば、その方が成仏できるように手を合わせてお経をあげるのです。

身体がなくなってしまった魂は実体の世界では何もできません。私たちが代わりにお手伝いしなければお経もあげられない。

そしてもし明日自分が突然死んでしまったら、同じ状況になるかもしれません。思い残しややり残しがあって成仏できない状況になるかもしれない。そうなった時、助けてもらえるのは実体世界にいる人たちだけです。

道端の仏様に手を合わせるのは、巡り巡って自分のためでもあります。

そしてここまで説明した時、興味津々に心霊スポットへ足を運び「幽霊っているの?」「ギャー出たー!」という行為がどれほど心無いことなのか少し考えて頂けるかと思います。

TV番組の心霊スポット特番で「悪霊退散」とかやってますが、あれほど野蛮な番組もないです。

ああいう場所に留まる霊は好き好んでそこにいるわけではなく、何か辛い想いや強い想いがあってそこに留まっています。悪霊ではありません。祓えばいいものではありません。その想いを慮ってこその人としての優しさであり、本来私たちが備えている仏心とも言えます。

ぜひ浮かばれない仏様が留まる場所に訪れたら手をあわせて下さい。般若心経をあげれば、尚のこと喜ばれることでしょう。