久々に奥湯河原の滝へ。
昨年、とある人物をお連れしての毎月滝行が3月に終わって以降、久々である(といっても5月は恒例で参ったが…)
滝行と同時にコロナ禍では毎月通うようになった、紅葉亭という蕎麦屋がある。
ここのおばあちゃんの様子を見に行くのも諸用のひとつ。
顔を覚えられ最近はなぜか帰りがけに果物を渡されます。
今回はミカン。
コロナ禍の最中、昨年の夏の豪雨から奥湯河原のスカイラインが交通どめになったことで、その近くに構える紅葉亭も客入りに影響が出ているらしい。
昨日は湯河原駅前も賑わっていたのでだいぶ回復ムードが強まっているけど、奥湯河原のスカイラインは相変わらず通行止めだった。
そのせいか、あんなに好天の割には滝の前後も1人しかすれ違わなかった(神様の人祓いでしょうが)。
湯河原の立て看板もわかりづらいので毎回、奥湯河原から抜けようとしてUターンする車を何度も見ている。
奥湯河原からはまだ芦ノ湖へ行けませんのでご注意を。
小麦の価格が高騰して米粉の価格が低くなったとのこと。
喫緊の食糧政策として「米を食べよう」と。
麺やケーキも米粉で。
米粉ブームが高まりそうですね。
赤尾さんの「じゃあお前がやれよ!」という話を聞いていて思い出したことが。
神谷氏の街頭演説を初めて聞いた時にまず思ったのは、「申し訳ない」のと「ありがとう」でした。
彼が「本当はこんなことはやりたくない」と言っている意味がわかったから。
私は小、中、高と学級委員長や生徒会長をやっていましたが、誰もやらないから、誰も手を挙げないからやっていた部分が少なからずありました。
その中で子供ながらに「人任せの日本人には民主主義はない」と思ったことを思い出しました。
政治のことを「まつりごと」と呼ぶのもそれを現している。
賢人を据えて言われた通りにやるのが農耕民族である生粋の日本人であり、矢面に立つのは実は日本人らしい日本人ではないのですよね。
ちょうど今年で9年サイクル
的に一周するのだが、
2014年にチェルノブイリに行く流れがなければ
その翌月に御嶽山にも行ってないので
自分にとっては両方でセットなんだよな。
と昨夜改めて今の情勢の妙なタイミングを
感じた。
それがちょうど一周する年に
諸問題が私の中では
全てが繋がってきている。
信仰の破壊
国体の破壊
医療の破壊
あらゆる問題が一本で繋がりつつある。
まさに総括の年なのかもしれない。
サイクルってあるんだね。
そんなことをしみじみ感じたのでこちらのメルマガの方も稼働していきます。
メルマガ【龍の息吹】 ←登録はこちらから
山岳信仰の里の行者&鍼灸師です。科学と信仰の統合を。