「ぼやき日記」カテゴリーアーカイブ

心身一如

都内の避難者支援活動でお世話になっていた方が、実は若かりし頃はアメリカで予約が取れないほどの凄腕の施術師だったことを奥様からお聞きしたのが3月のこと。
この話を聞いた時に施術の道を選んだ私としてはなんとも不思議な因縁を感じたのですが、それはそこだけにとどまらずさらに深いものだったことが昨日判明しました。
昨日は「相談がある」ということで都内のハイキングコースを案内していただきながらいろいろな話をしました。
その中で驚いたのが「大峰山に三ヶ月こもって修験の修行をしていた」こと。

役小角の像の導きで大峰山で修行する流れになり、様々な体験をしたお話を聞けました。
大峰もやはり霊能者のような人達が修行をしに沢山集まっており、特に女性がそういう力に長けていたらしいですね。
師匠のような方が沢山いらっしゃると思うとなんだか興味津々です。
「大峰山の修行でいろんな人と会ったし色んな体験をしたよ。霊もいるし、なんだってあるよ。」

「心身一如っていうけど、心から身体を治すやり方もある。いろいろ教えてあげるよ」
意外と身近なところにこういう話を語り合える人がいたことにとても心強さを感じました。
ちょうど今週は一つ大きなものを手放したばかりなので流れ的にもとても有難いご縁。
新たなネットワークの再構築、佳きにはからいますように^ ^

餅は餅屋、、、

今日は出張施術先の談話で

エネルギーワークのセミナーお話を聞いたのですが、
ちょっと気になったことを書きたいと思います。
このセミナーはボイストレーニングについてのセミナーだったようなのですが、

講師の方が

「他人を自分に降ろしてその声の出し方を体得できる。降ろすのは生きている人じゃなくても可能」
こんなことを教えられていたそうです。
なんだか面白そうですよねぇ。
私も興味津々です。
でもちょっと待って(*_*)
これってかなり危険です(*_*)

なぜなら、降ろすこと自体はできたとしても

降ろした他人がすぐ出て行く保証はどこにもないからです。
善良な一般市民や友人なら自分の体に降ろした後すんなり出て行ってくれるかもしれませんが、

例えばとても強い想念や強力な地縛霊のようなものだったら意図的に出ていかない恐れもあります。

また、その講師曰く

「降ろした後はちゃんとサヨナラをしないといけない。」

「君、それじゃダメだよ、終わったらちゃんとサヨナラしないと」

これも降ろした他人が「出て行きたくない」と思う強いものだったら、自分の意識は抑えられてサヨナラできない展開もありえるのが、見えない世界の怖さです。
俗に言う憑かれた状態ですね。
私も施術によって他人の意識や想念が入ってくることは日常茶飯事ですが、強い想念や低級な神様(低級といえど神様なので凡人からすれば強力です)が入ってくると、本来の自分から段々離れていきます。

普段好まないものをバカぐいしたり、

なにもやりたくなくなったり、

ひどい人は気づいたら知らない場所に立っていたりとか。

こうなってしまった場合って、もう自分でどうにかできるわけがなく、その道のプロに祓ってもらうしか術がなくなります。
挙句この講師はある日、とても強いなにかを降ろした結果、強い腰痛に襲われ動けなくなり救急車で運ばれたそうです。

自分で祓えないのに、リスクを負わせて受講者にナニカを降ろさせる。

これほど無責任なことはなく、怖いこともありません。
餅は餅屋。
こういうリスクのある行為はしっかり祓える人の指導のもとされることをオススメいたします。

下手なことはしないほうが無難なのは言うまでもないですが(^_^;)

ぜひ気をつけて下さい。
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正解は自分で探すもの

新年度となり鍼灸学校のクラスのメンバーも少し減ったので

ペア表を更新して作りました。
他の進むべき道が見つかった人

めんどくさくなって辞めた人
人それぞれ。
取り組んでみて初めて

それが自分にとって正解かどうか知ることができる。

そういう意味で最初から正解は得られない。
ともすれば正解は一生ない。
全てが正解でもあり

全てが不正解でもある
正解と思っているものは本人が「これが正解」

と後からこじつけただけなのかもしれない。
「現在」に幸福感があるから

正解と言えるだけであって

「現在」に幸福感がなければ

不正解と言うかもしれない
でも正解はないのかもしれないけど

「自然な解」はあるように思う。
違和感がなく

ストンと心に落ちる
そういう「自然な解」は心地よい。
取り急ぎ仮で作ろうと考えた末

画用紙ベースの手作りに走る。
手書きであくまで仮なのだけど仮感が薄い、、、