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五行大義

『癒しと救いの五行大儀』著:稲田義行(現代書林)

五行の基礎をかなり細かいところから解説されておりとても良書。本格的に学びたい方向けです。

十干十二支の由来や、周易における数の考え方など、細部にわたります。

はじめは随分こ難しいなと思いましたが、読み進めていくうちにしびれてきます。

最近は八卦が課題になっているのでちょうどよかった。

湿に注意!!

今日は入梅なので湿について。

「湿」は、れっきとした病の原因である。

・貝原益軒は風、寒、暑、湿の四つを病の原因としている

・”湿”に対してかなり注意喚起している

・”湿”は長く深く入りなかなか治らない

・豊臣秀吉の朝鮮出兵の敗因も”湿”が原因?

・比叡山では「論寒貧湿」が修行のテーマとされており、やはり「湿」に悩まされる

・「湿は熱でさばく」、陰湿な人にも効くかもしれないツボ

etc…

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【氣の固摂作用】

中医学では氣の概念(現代でいうところのエネルギー)を用いるが、

氣の作用の一つに「固摂作用」というものがある。

これは氣の働きがものなどを
とどまらせることを意味しており、
例えば胃下垂など内臓が下がったり
ズレたりするような状態も

氣の低下とみなす。

物体の固定という観点でいうと、
分子結合などもそうでしょう。

分子にも結合エネルギーがあるからこそ
物体として私たちが触って認識できる
存在となっている。

氣(≒エネルギー)の固摂作用が
ナニかをとどまらせることは
なんとなくイメージできます。

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物体だけでなく
精神的なものにも
固摂作用は働きます。

“思い止まらせる”などの
「思い」や「思考」も
氣の固摂作用によると考えられる。

思いの固定でひとつ思い出すのは「執着」です。

執着も莫大なエネルギーが蓄積されている。
これを振り解くには時には
莫大なエネルギーを要しますが、

執着から解放されると
一気にエネルギーが高まるのは
そのとどまった執着に
いかに莫大なエネルギーが蓄積されているか、
ということですね。

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執着とは逆のパターンで
フワフワとフロー(浮遊)させとくにも
氣の固摂作用が必要になると
わたしは考えます。

フローしてるほうが不安定なので
とどめておくにはよりエネルギーが必要であり、

エネルギー不足だとこの
フローさせとくことが難しくなるの。

なのでなるべく早く「ポイ」したくなります。

明らかにBではなくAだと判断できる
内容ならよいですが、

もしグレーゾーンに対面した時 
十分に吟味することができない。

Aの見方ができる。
が、Bの可能性もあるな。

一旦保留させておくことができず
善悪で判断しがちな時というのは、

氣≒エネルギーの低下を
示唆しています。

氣が不足しているとすぐ
善悪二元論に走りたくなる。

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この善悪二元論の落とし穴は
健康の話でも現実的に
問題を起こしている。

わかりやすい例を挙げれば、

腸内細菌の悪玉菌、
悪玉コレステロール、

などでしょう。

これらも実際には悪でもなんでもなく
むしろ必要なものです。

よく調べれば必要不可欠なものであることは
すぐわかります。

ですがいまの日本人の認識はそうではない。

悪だからなるべく避けよう、
そういう安易な考えで
避けようとしたり下げようとしたりで、
逆に病気になっている。

結局こういう悪のレッテルも
企業のコマーシャルで作られたイメージです。

こういったものにすぐ流されてしまうこと自体が
氣不足による善悪二元論病と言えるでしょう。

自然界では全てに意味があり
善悪などなく全てバランスです⚖️

【統一×自己内省×治癒】

【統一×自己内省×治癒】

「誰かが書いてたけど、
こんなにも身体と向き合ってくれる人は初めて」

と一昨日もそんなお言葉を頂きました。

有難い限りです。

後期高齢者なら間隔の短い短時間の治療が
ベターだと思いますが、

それなりに体力があるならば
時間をかけて身体をオーバーホールすることを
いつもお勧めしています。

結局全部がつながって来ないと
腑に落ちないし
効果も出にくい。

長年かけて培われてきた歪みを解消し、
色んな要素が一つにまとまるには
時間がかかります。

いつも思うけど、
治療より問答が
メインなのでしょうね。

身体との問答。

最終的に治すのは自分自身なので。

これは依存体質の現代医学に
最も欠落している観点なわけですが。

NWO、陰謀論、
権力者の世界統一という妄想に
甘い夢を見るよりも

まず自分の統一をしましょう。

ワンフォーオールではなく
オールフォーワンです。

この言葉は非常にトリッキーで
主語を自分にするか、

権力者やその世界にするかで
意味合いがガラリと変わってきます。

みんなのためのひとりであるためには
やはり自分をしっかり確立する必要があり、
世界のことなどは知ったことではないのです。

動物たちは世界のことなど知ったこっちゃありません。

ただ全うするために生きています。

この観点でみたとき
メディアというものが
いかに洗脳システムであるかが
伺えます。

自分自身に一度世界をしっかり集約しなければ、
世界への還元などありえません。

ただ自己を見失って
呑まれて消滅するのがオチです。

己がまとまれば自然と周りも世界も
まとまるはずです。

己がまとまらないから
周りの世界もまとまりません。

一部の自己顕示欲の強い人間が
無理にまとめようとするから
世界はこじれる。

奴隷の我々は自然界の動物を見習いましょう。
そのうえで知性を持ち合わせることで、

禽獣とは一線を画す生命体に
なれるのではないでしょうか。

期待はできませんが。