いまならすんなり受け取れるお話です。
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イルミナティ13血族
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なぜ核なのか、
なぜイスラエルからなのか、
福島の支援活動をしてる中で、
多くの人の気持ちを踏みにじっていく負の感情に何度か怒りを燃やしていましたが、
ある時ふと背後にとてもつもなく禍々しい悪魔のようなものを感じたのをいまでも鮮明に覚えているのですが、気のせいではなかったんでしょうね。
と腑に落ちる今日この日。
一番知りたくない真実ですが
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この情勢下で信頼に足る人物というのは明確になってきます。
そういう方々が言い切ってるので、そろそろ現実を直視しようと思います。
私も長年携わってきたのでそんなはずはと思っていましたが、3.11の認識を改めたいと思います。
新型コロナ自体がとんだイカサマですからね。
あらゆることがあり得る。
あれから8年
三月に入ると色んな想念が混ぜこぜになってやってくるので、この日にしっかりあげさせて頂く。それは亡くなった方々のものだけでなく、残された方々の想いもあり、それらは複雑に交差して絡み合っている。
前日の10日は月島の避難者支援イベントでいつものように楢葉町から避難してきた方々のマッサージ。皆さん笑顔で帰られましたが、「もう帰れない」と決めた方々でした。
帰る人、帰らない人、それぞれの選択に意味があり、当事者以外には見守るしかできない。
私たちができるのは後ろから寄り添ってること。ただそれだけ。。。
今朝は沐浴から始めました。禊は毎朝してますが、なんとなく光明真言あげながらの水行。海の底へも大日の光が届くように、そんなイメージだったかもしれない。
その後の勤行では、やはり蝋燭が勢いよく溶け出した。1週間前からどんどん色んなものが来てるので当日こうなるのは予想していた。しかしなんだろう。蝋燭を見守っているとそれはやがて蓮の花のように広がり海になった。その傍に見守る仏様のような。
午後は師匠のもとでご供養。
そしたら「海底の未だ見つからない御霊への供養で大悲心陀羅尼から始めましょう」とそんな流れに。
あげてる途中で、今朝の蝋燭の海がふと思い出され、師匠の言葉と繋がった。観音様の大悲心の大きな手で、海底に彷徨う御霊を救いあげて下さるように祈った。
「沢山ここを通ってあがっていったわよ。子連れの母親も来たわね。みんなちゃんと玄関から入ってきて『ありがとうございます』って言いながら上がっていったわね」
廻向。死者への供養として捧げるお経は私たち生きるものにとっての智慧でもある。ともすればこの白骨になっていたのは自分自身かもしれない。肉体がなくなれば今世でお経をあげることはできない。その時手向けをして頂くのは自分だ。
そう思えばこそ、亡き御霊と出逢えばきちんと供養させていただく。それは今生とあの世に生じるお互い様の関係なのです。
・般若心経
・大悲心陀羅尼
・観音経
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・観音和賛