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【承認欲求というクセもの】

承認欲求ほど面倒くさいものはない。

他人事としてみれば可愛らしいともとれるけど、本人の苦しみを考えるとやはり

これほど厄介なものはないと考えてしまう。

現世の中で

永遠に地獄を彷徨うのが

人に対しての承認欲求を求める続けることだとすら最近は思う。

自分は昨年、

八海山から降りた翌日に

師匠のもとへ行った際に、

自分の承認欲求は神様に対して異常に強いことに気付いてしまいました。

神様に認められないと満足できない、安心できない。

そうなるといくら人から認められても満たされない自分がいることになるので、

人にたいする承認欲求は手放すことにした。

神様から認められないと満たされない、

それは言い換えれば自分が自分を認めないと永遠に満たされない欲求とも言える。

生き辛さを生み出すのも

空回りさせるのも

人に対しての承認欲求が

だいたいの原因じゃないのかなと思います。

人間関係においてうまく噛み合わないのは

承認欲求が行動基準になってるケースがほぼ。

自分が自分を認めることができないから

それを承認欲求として外に求める。

が、それはもともと答えのないフィールドに

わざわざ答えを探しに出かけるようなもの。

終わりのない狩に出かけるくらいなら

内側を満たしていく術を考えて

実行していくほうがはるかに楽。

本人のためにならないので

承認欲求はガン無視、

これは自分のマイルールです。

人に認められたいという想い

誰にでも人に「認められたい」という想いはあります。

でもそれが「自分を許せない」ことで発生するとかなりこじれます。
それが結局ストレスを作る原因にも。
医者や教師の家庭でこじれる家族間の問題もここに原因があります。

津久井事件の犯人の笑顔もそういう欲求の強さの表れじゃないかなと感じました。

承認欲求についてメルマガで書いてみました。↓↓↓

自ら生み出すストレス〜人に認められたいという想い

夏休み

夏休み、主婦は大変になります。
昨日のお客様、ヘルニア持ちで子供三人の世話。
「毎日公園に連れて行くのが大変で、、、」

とかなりお疲れな様子。

2歳のお子さんが鍵をかけておかないと勝手に家の外に出てしまうらしく、途中で鍵をかけているか心配になりおばあちゃんへ電話。
2歳で外にひとりで出ていくって凄いなと思いました。
いつも外に出る隙を玄関でうかがってるそうです笑
ご要望で腰は避けながら少しでも緩めるための最善の一手を探る。
こういう時はヒカルの碁みたいな気分。
肩と背中周りがひどいのですが、腰がアプローチできませんからね。他でなんとかまわりみちしないと。
そして子育て中のお母さんはたいがい、
膝裏と太ももがパンパンです。
重さに耐えているからです。
そこを緩めてあげてます。
昨日からハムストに焦点をあてながらやっていたら自分のハムストがはってきました(´Д` )