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出羽三山供養塔〜七国峠・大日様のお山を歩く

昨年に引き続き高尾山で法螺貝を練習しようと横浜線で向かっている道中。

相原駅で停車中に向こうに見える小高い山を眺めていたら、「ん?あの山何かありそうだな」とピーンと来てGoogle マップを開く。

学生の頃から使ってる駅なので何十回と通過してるはずだけど、昨日はなぜか何かありそうな気がした。

そしたら出羽三山供養塔と書いてあるではないですか。そしてその隣に大日像と書いてある。どうやら昔信仰されてたお山らしい。

これは行ってみるしかない!!と思い、高尾山で用を済ませてから相原に戻り探索開始。

相原駅から北へ向かい、造形大近くの峠道の入り口から入ってみました。

比較的整備されている道ですが、雨降るとぬかるんで大変そうです。

途中何組か親子連れとすれ違ったので、地元の方はハイキングや散歩によく使うようです。

30分ほどひたすら歩くとありました、供養塔が。Y字路の分かれ目の木の前にどどんと。なんでこの位置にこの向きなのかが謎ですが、、、

刻まれた文字が薄くてほとんど読めないのですが、側面には「天保十年」とあるので天保の大飢饉から三年後に建てられたものらしい。

下のほうには「村役人」と書いてあるので、当時の役職者の名前が。

湯殿山が真ん中に置かれている。

現在は三山の配置が異なりますが、かつては湯殿山が大日如来をあらわすとされ真ん中に配置されていた時代もありました。

これを見てすぐ近くの大日如来像まで行ってみようと思い、一度この場をあとにする。

15分ほど歩くと大日如来像の場所へ到着。ちょうど日が差す広場のようになっていて大日に相応しい場所。ベンチもあっておじいさんが日向ぼっこしていました。

ここの大日様、廃れた里山の神仏はボロボロだと相場が決まっているものですが、とてもきれいに管理されていてちょっと驚きでした。

横の注釈には明治時代の一村一宮の制度でほかの神社に移動させられたけど、疫病が流行りだし、若い衆が心配してもとのこの場所に戻したら次第に疫病が治っていたという、比較的最近の逸話が書かれている。記憶に新しい大日様だから未だに地元の方々に大切にされているんですね。なんかだかとても感激。

般若心経と光明真言をあげ、法螺貝を奏上。

再び出羽三山供養塔へ戻り、こちらでも般若心経と法螺貝を奏上。供養塔と書いてあるからその選択だったのだけど、あとから調べてみるとどうも供養塔というのは遥拝所を指すらしい。三語拝詞でよかったかなとあとで後悔。また来る機会があったらその時は、、、。

日本三大修験といわれ全国で信仰されていた出羽三山なのでこんなところに供養塔があっても不思議はないのですが、自分がかつてお世話になっていた地域に出羽三山信仰者がいたと思うとなにか感慨深いものはあります。

ともあれ無事に出羽三山供養塔の探索は終了。

学生時代から馴染みのある地域にこんな大日様があるとはつゆ知らず、とてもよい勉強になりました。

感謝。