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【慮る×自己都合×解釈】

相手を慮れない人というのは

先祖やそれに関わる神さまに対しても

同じように慮れない傾向がある気がする。

なぜか自分勝手な解釈なんですよね。

いつだって相手の都合は考えない。

相手にあわせる必要はないけど

多少気はつかわんと。。。

つねに「私」が優先。

きっと誰が相手でも同じ。

友達に対しても

取引先に対しても

ご先祖様に対しても

神さま仏さまに対しても

実に面白い。

いや、実におそろしい…。

これで物事がうまく廻るわけがない。

と童子も仰っております。

あれから8年

一昨年から師匠のもとで東日本大震災の供養をさせて頂いております。

三月に入ると色んな想念が混ぜこぜになってやってくるので、この日にしっかりあげさせて頂く。それは亡くなった方々のものだけでなく、残された方々の想いもあり、それらは複雑に交差して絡み合っている。

前日の10日は月島の避難者支援イベントでいつものように楢葉町から避難してきた方々のマッサージ。皆さん笑顔で帰られましたが、「もう帰れない」と決めた方々でした。

帰る人、帰らない人、それぞれの選択に意味があり、当事者以外には見守るしかできない。

私たちができるのは後ろから寄り添ってること。ただそれだけ。。。

今朝は沐浴から始めました。禊は毎朝してますが、なんとなく光明真言あげながらの水行。海の底へも大日の光が届くように、そんなイメージだったかもしれない。

その後の勤行では、やはり蝋燭が勢いよく溶け出した。1週間前からどんどん色んなものが来てるので当日こうなるのは予想していた。しかしなんだろう。蝋燭を見守っているとそれはやがて蓮の花のように広がり海になった。その傍に見守る仏様のような。

午後は師匠のもとでご供養。

そしたら「海底の未だ見つからない御霊への供養で大悲心陀羅尼から始めましょう」とそんな流れに。

あげてる途中で、今朝の蝋燭の海がふと思い出され、師匠の言葉と繋がった。観音様の大悲心の大きな手で、海底に彷徨う御霊を救いあげて下さるように祈った。

「沢山ここを通ってあがっていったわよ。子連れの母親も来たわね。みんなちゃんと玄関から入ってきて『ありがとうございます』って言いながら上がっていったわね」

廻向。死者への供養として捧げるお経は私たち生きるものにとっての智慧でもある。ともすればこの白骨になっていたのは自分自身かもしれない。肉体がなくなれば今世でお経をあげることはできない。その時手向けをして頂くのは自分だ。

そう思えばこそ、亡き御霊と出逢えばきちんと供養させていただく。それは今生とあの世に生じるお互い様の関係なのです。

・般若心経

・大悲心陀羅尼

・観音経

・阿弥陀経

・観音和賛

蜂子様から飛んできて

今年も8月25日(土)から9月1日(土)にかけて出羽三山の秋の峰入りが行われていた。

行われていた、と書いたのは今年自分は参加しなかったから。

今年は期間中にどうしても外せない用事が一日だけ発生したため不参加になったのだが(そのかわりに八海山登拝を行った)、なんと遠くから陰ながら参加することになってしまった。

なぜならば、、、、

蜂子様からのアウトソーシング依頼が来たから。

「今日から峰入りだな、良い峰入りになりますように」

と祈りつつ眠りについた土曜の夜から、実は意識がずっとお堂の蜂子様の前に座っていた。

で、翌朝、朝の勤行をしようと神棚の蝋燭をつけるやいなやドロドロと蝋燭がいきなり溶け始める。

え、、、!?えぇっ、、、!?

ここ半年くらい自宅での蝋燭の祓いは勤行中も発生せず落ち着いていたのに、ここにきて久しぶりにガチなオート祓い発動。

八海山から帰ってきてまだ間もなく、まだ心身ともに綺麗だし(のつもり、笑)全く身に覚えがないこの突然の祓い。

一体なぜ!?何が起きた??

と鳩が豆鉄砲くらったまま拝み始める。そしていつものように神様系が終わり修験系へうつると、、、ピンときた。

「あ、これ出羽三山からきてる、、、?そういや昨夜からずっと蜂子様の前に座ってたもんな」

と気付いたら蜂子様が

「お前も祈れ」

、と。

げ、マジか!!

これはどうもお経の地の祓いじゃないとダメなやつ達らしい。神社系の峰中は基本的にお経は一切あげない。しかしそこで見守ってくださる蜂子様こと能除仙のお坊様はお経であげないとダメなものも沢山あるってことらしい。(去年もそこは強く感じた)

昨夜は峰の初夜の勤行。

下界から上がってきた修行者たちの最初の禊だからそりゃあドロドロしてるのも仕方ない。恐ろしいほど色んな穢れのごった煮だ。

お経で祓いたいタスクがあるからお前も手伝え、そういうことなんだと理解した。

蜂子様とつながってる。。。

昨年は「蜂子様へ逢いにいく」がテーマだったのだけど、しっかり蜂子様とつながってたんだなと嬉しく思う反面、

行者ってこんな感じなのかー

とちょっと驚きも。

だってはるか向こうの蜂子様からアウトソーシングで依頼されるとは!!

なんか会社みたいだ。上司と部下と変わらないじゃないか。出来ないと怒られるのか?査定が下がるのか?

なんてぶつぶつ思いながら任務にあたる。

九條錫杖の祓いから始めり般若心経、そして観音経へ。そういえば同期の一人は西日本豪雨の活動で奔走してた。そこの仏様も付いてきているようだった。そのご供養もしなければ。

そして祓いとご供養をしながら蜂子様がまたポツリと一言。

「今年は大変だ」

とな。

どうも一週間ずぶ濡れの行らしい(後に実際そうだったことを知る)

最後は陀羅尼陀羅尼だらにダラニ、、、、

一通り終わると蝋燭も落ち着き、うん、任務完了◎

とはいえ峰中は安心できないと思っていたら、翌日もやはり突然ドロドロドロドロと蝋燭が溶けはじめまたアウトソーシング開始っ!!

毎日三山拝詞などあげてから修験で祓いが一週間続いた。その間もちろん終わったはずの潔斎も復活せざるを得なかった。それが礼儀ってもんだろう。

もともと御嶽に向けての百日潔斎後、参加しないけど峰中終わるまで自分も潔斎だけ続けようかなと考えたりもしつつ、八海山の山小屋で肉が出てきてしまったので「強制終了になったから、まぁいっか」と完全離脱のつもりだったのですが、、、やはりこの世界はそう甘くはない…

しかし貴重な修行をさせて頂き、蜂子様に感謝。

来年からは参加いかんに関わらず、峰入り終わりまで潔斎で臨むことにしようと考えている。なにせ蜂子部長からアウトソーシングの指令があるかもしれないから、苦笑

3月はご供養月間

こんばんは、センシです。

今月もあとわずかですね。

3月ははからずもご供養月間なプライベートでした。

東日本大震災の3.11に続いてのお彼岸、今年は沢山の御霊を感じました。

2月から修験道の教えを落とし込んでいることもあってか、週末に甲斐国や相模国の山へ行くたびにそこで御霊と遭遇することが多くなり、半分気分転換の山行もご供養になってきました。

思ってた以上に成仏したいお御霊が山々にはいらっしゃる。。。

まだまだ勉強することが沢山、日々修行三昧です。