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なぜ海外の感染者や死亡者数は多いのか?

コロナの感染者や死亡者数がなぜ海外で多いのか。

それは死亡診断書をコロナで死亡と書くように指導されているから。

YouTubeでもこんな告発がありましたね

https://youtu.be/IpMfunW4ZMg

以下、その詳細について世界一悪名の高い内海聡医師からの転載です。ご参考まで。

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珍コロがなぜ海外で多いのか?(長いが重要)

日本で珍コロの感染者数、死亡者数が少ないことから、日本で珍コロが危険だと騒ぐ詐欺師のウソを見抜ける人は少し増えてきた。往々にして脱原発派のウソつきは基礎を知らないため、珍コロ怖い詐欺に走っているのが現状であり、脱原発が日本でうまくいかないのが当然という証左にもなっている。しかし珍コロ騒ぎを考えられる人でも気になるのは、海外の数の多さかもしれない。

この理由の一つとしてPCR検査数や抗体検査数の違いがあることは、私がいまさら言うまでもないだろう。しかし一番の問題はそこではなく、アメリカやイタリアなど数が多い国での理由は死亡診断書問題である。有名なニュースとしてはスコットジェンセン氏のものがある。アメリカのCDCが医療機関に対して、「死因が判明しないものわからないものに対して、可能性が高いなら死亡診断書にコロナ死亡と書いてよい」という通達に関しての告発だ。

コロナで死んでなくてもコロナで死んだことにできるのだから、医者であり上院議員でもあるジェンセン氏がツッコむのも当然である。さらに言うと基礎疾患。仮にコロナであってもインフルエンザであっても、それで基礎疾患が悪化した場合、コロナが死亡原因になることはあり得ない。日本でも海外の死亡診断書でも、仮に腎臓が弱い傾向の人がいて、ウイルス感染後に腎不全になったら、それは腎不全で死亡である。

現在はそうなっていないということだ。ブルームバーグの報道ではイタリア死亡の99%で、コロナ死亡がコロナ死亡ではなかったと報じられた。イタリア国立衛生研究所が再検証したデータでは、死亡診断書の12%がコロナウイルスによる直接死亡で88%は違った。もちろんアメリカも基礎疾患もちが非常に多く、砂糖中毒小麦中毒の国であることは言うまでもない。しかし数字のウソはこれにとどまらない。

ニューヨークが感染爆発地だというウソが世界中を駆け巡っているが、ウィルスソフト会社McAfeeの創業者、ジョン・マカフィー氏が「NYの死亡率高すぎ。新型コロナにすると病院が国から約416万円もらえることと関係あるの?」とツイートして話題になった。また、「NYCは新型コロナで1万1000人死んだ。東京は人口世界一の過密都市なのに93人」と。これは素人の着眼点としてはとても良い。

NY市は死亡診断書の死因に「新型コロナウイルス」「それに類する」と記された死者数を調査しており、3月11日から4月13日まで医療機関で2258人、自宅で825人、老人ホームやホスピスで673人が、それぞれ検査で陽性とは診断されていないものの、新型コロナで亡くなったと推定されると述べている。これらは当然ながらコロナ死亡者数としてカウントされるが、同系統のウイルス疾患でなくなっている可能性が高い。

アメリカが病院に払うメディケア(障がい者・高齢者向けの政府医療保険)の補償額は、通常の肺炎は5,000ドルだが、新型コロナと書くと1万3000ドル、人工呼吸器をつけると3万9000ドルになる。救急疾患で来た患者が感染症が主でなくても、死んでしまった時に当然コロナ検査をするので、そこで検査が何かしら陽性に出ればコロナと死亡診断書は記載できる。それを国が推奨しているのだから。

さらにカイザー家族財団は「コロナ類似の症例は1万3297ドル、人工呼吸器装着で4万218ドル。コロナ認定でそれぞれ20%上乗せされる」と述べていてさらに上乗せされる可能性もある。このようにして死亡者数が水増しされているのが現状で、それはお金によるものが一番であり、次には陰謀論で述べられているように、人々の恐怖をあおるため、数字に頼る情弱を騙すためなどがあろう。

発症者数ではない感染者数はもっと多い可能性もある。というより確実に多い。米国カリフォルニア州サンタクララ郡で実施された調査(査読前論文)で、サンタクララ郡の住人3300人の血液を採取し、SARS-CoV-2に対する抗体の有無を調べたところ、スタンフォード大学のジョン・ヨアニディス教授らが報告し、実際の感染者は確認されている数を大幅に上回る50倍以上で、感染者の致死率は0.2%に満たないと述べている。

検査に応募した人々は女性の比率が高いし、カリフォルニア州で最も裕福な地域の一つなのでバイアスはある。ただ他の調査としてマンハッタンで2つの病院の産科病棟全員を検査したところ、15%が交代を持っていたがほとんど症状はなかった(不顕性感染)。これらはPCRでは捕まらないことも多い。ボストンのホームレス施設で408人の入所者を検査したところ、35%以上が検査で陽性と示された。

要するにすでにたくさんかかっていて、インフルエンザと致死率は変わらない。すでに出ている世界中の致死率もウソで、分母の設定が間違っていて、ほかのウイルスとの比較にさえなっていないのだ。お金のために診断数が水増しされ、基礎疾患がある人の死亡原因はごまかされる。これだけでも問題なのだが一番の問題はさらに別にあるのだ。ここで出てくるのがやはりPCR検査のウソだ。

PCRが信用できないのはちょっと勉強した人なら当たり前であり、特異度は実は高くないのだが高いことになっている。いや、ちゃんとコロナウイルスを検出できないと検査として成立しないだろう、と素人は思う。プライマーセッティングの問題と提供者から考えてもそれは間違いなのだが、もはや説明しても無駄だ。珍コロ詐欺師が横行し全員が洗脳されている現在、オウム真理教信者が事実を理解できないのと同じだ。

だからもはやクローズドな場所でしか高度な科学の話はしないが、一つだけ書いておけば、PCRは交差反応を起こさないのか、ということが話題になっている。PCR洗脳者はこれを頑なに否定するが、それはプライマーを経典のように信じ切っているからだ。まあそれはよい。リスクマネージメントの基礎が分かっていないクズたちだから仕方なく、本来はプライマーが他のウイルスにないことを証明しないといけない。

しかしそこさえ数にかかわる問題の主ではないのだ。問題はPCRが正当であったとバカな仮定をしても、その人の検体からコロナウイルスが検出されたとしても、その人は実はコロナウイルス感染症ではないという数の多さなのだ。これはバクテリオファージ、未発症細胞内感染、検体抽出(検体汚染ではなく)その他によって導かれる。これをだれ一人として言わない。これは交差反応とは違い医学の原点だ。

とにかく豚インフルエンザ詐欺や新型インフルエンザ詐欺と同じように、すべての数字がウソで詐欺だ。ま、そんな私でも少し信じたい数字がある。それが大都市の病院死亡者数の数字だ。病院に行く人が減り死亡者数が減っているが、これは医原病でたくさんの人が死んでいる証左にもなろう。こんな話はしても無駄だ。世界中を敵に回すし常識から外れるし自粛無知ンピラが怒ることこの上ない。

SNSを見回っていると詐欺師へのいいねの数が半端ない。自分が自称覚醒者だと勘違いしている輩も、しっかりいいねしているのが嗤えてくる。それは脱原発主張者に圧倒的に多く、彼らが脱原発を言う本質は、原発問題ではなく個人の恐怖と政治工作に基づくものだから当然だ。これもまた人間の本質である。人間は幼少期の段階で数字、根拠、論文、研究に汚染され、悪魔の経典=科学に従うように洗脳されているのだから。

様々な理由があると考えられるが、いまトランプ大統領は中国を徹底糾弾しようとしている流れからみれば、膨大な死亡者数はその批判材料として一番有力なものになるのは間違いないですね^_^

【体質×根本×依存】

【体質×根本×依存】

いまのコロナに絡む

あらゆる問題を観察すると

全ての根っこに「依存」が存在している

ことに気付く。

依存をとっぱらうと(まぁそれが難儀なんだが)

途端に解決してしまう問題が

ほとんどのように思う。

自律した

自立した

生き方、

依存しない生き方ができるかどうか

二極化とか騒がれてる根本もそこに

尽きると思います。

情報

メディア

社会

政治

経済

貨幣

医学

科学

環境

教育

家族

恋人

etc.

いろんな依存が

今回のコロナを難しく見せかけている。

幻想世界からの依存脱却ができなければ

飼われて生きていくだけ。

それは私たちの身体のような

生命体としての在り方も

問われる重要な問題ともつながる☀️🌙

自分で決めるということは

腹を括るということ。

責任をもつということ。

知らないうちに依存体質に

なっていませんか?

そしてその依存は一体どこから

やってきているのか?

それがまた大きな問題のひとつなのですが。

幻想に気付かず幻想にさらに逃げ込む大人たち

そもそもの根本的な本質的な

感染症とは結局なんなのか

免疫とはいったい何なのか

その大前提をすっぽかして

“新しい生活様式”やら

“これからの時代”やら

仕組みの話にばかりとらわれているのが

マジで呆れ果てる。

土台が脆ければそんな妄想は

簡単に崩れ去るのに、

大の大人たちがいったい

何をやってるのだろう。

そういうのを”現実逃避”

っていうの知らんの?_(:3 」∠)_

“生きる”という基本のキを知らない、

これが現代人なのだなぁと

噛み締めています。

小手先の現代医学に逃げるのは

提供者側の画策はもちろんあるが、

つまるところは現代人が

生きることで生じる「四苦」から

とにかく目を背けたい

とにかく逃げ出したい

そういう弱い心なんだなと

気付いた昨夜。

医学という観点からみると

特にこの戦後70年ほどは

ある意味「現実逃避」して続けてきた、

そしてその集大成が珍型コロナで起きてる

珍喜劇のように思えて仕方ありません。

幻想に逃げ続けてきた

いまの現代人の在り様をみると

昔から般若心経で「空」が説かれてきたのも

ものすごく腑に落ちる。

昔からこういうことは何度も

起こったんだろうね。

国民は70年前にも「ステイ」と命令されている

【歴史×戦時×ステイ】

人はそれぞれの世界で生きればいいので

とやかく言うことではないのですが、

やはりこういう時だからこそ

少しまともに考えて欲しいなと思うので

辛辣なことを書きます。

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次々とロックダウンが始まり、

日本もその空気に飲まれ、

メディアで「封鎖」一辺倒の風潮になった時、

“コロナが代理戦争なんだな”

と疑いない直感があった。

「歴史は繰り返す」

臭いものに蓋をせず、

黒い歴史ともきちんと向き合えば

物事の本質はきちんと見えてくるし、

その教訓は血肉となり

自分を生かしてくれる。

しかし多くの人は

愛や絆という甘い言葉は口にしながら、

一番向き合わなければいけない

黒い歴史には触れようともしない偽善者が多いのもまちがいない事実だと思う。

黒い歴史も併せて呑み込まないから

本質に気付けない。

今回のコロナもその本質に気付かず、

ウイルスだけをみていたら

足を何回もすくわれるし、

パンデミックだって何回も起きる。

新型コロナはきっかけに過ぎず、

世界の思惑、

日本政府の思惑、

企業の思惑、

沢山の思惑が渦巻いているのが

今回のコロナ災禍だ。

もちろんコロナウイルス自体が示すこともある。

“地球に人間はいらない”

これは間違いなく提起されている

問いかけだろう。

コロナ怖い詐欺を恐れ

人間が活動を止めた途端に

空気ははるかに澄み渡ったり、

かのガンジス川も透明になったり、

人間がいかに地球を汚しているかを

はっきり示した。

しかしやはり

それだけには留まらないのが

今回のコロナだ。

よってたかって為政者や権力者が

パンデミックという急に準備された土俵で

しのぎを削ろうとしている。

我々はそこに巻き込まれ

付き合わされている。

全く阿呆らしい。

この点は押さえておかなくてはならない。

先日興味深い記事をみかけた。

東京大空襲に関する記事。

(こちら→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614 )

これを読んで私は驚いた。

なぜなら今の状況と

全く同じにみえるからだ。

われわれ=国民は大空襲の時も政府に

「ポチ!ステイホーム!!」って

言われとるんだなぁと。

盲目で従順なのが

日本の国民性だ。

“一億玉砕”

“欲しがりません勝つまでは”

日本人の美徳に重ねて

うまく刷り込まれた洗脳は

今回のコロナ災禍でも顕著だったのでは

ないだろうか?

自粛要請が敢行されてから途端に

補償対応をのらりくらりやってる

安倍や政府批判が勃発し始めたが、

今更何を言ってるんだ?

というのが正直な感想。

初めからわかっていることなのに…

戦時から国民は「ステイ!」

と虐げられる状況は

未だに続いていることに

いい加減気付かないのだろうか。

70年経ってまた同じ過ちを

繰り返していることを

認識しないとね。

“感謝”が大切なことは言うまでもないが

それは目の前の大切な人や

守っていただけるお陰様に対して

捧げる言葉である。

糾弾すべき相手や

抵抗すべき相手は

その時によって確実に存在する。

世の中はきれいごとでは済まない。

自由や生きる権利を脅かされた時、

角を立てずとも

受け流すなり

陰ながら密かになり

抵抗という行為は

自衛のためにまちがいなく必要なのだ。

それを「美徳」を餌につられて

プロパガンダを鵜呑みにして

「みんなで耐えましょう」では

お話にならない。

トイレットペーパーでも思ったが

なぜ令和なのにまた

昭和のスローガンが出てくるのだろう?

そういう人間は物事の本質を

しっかり見ていないので例えば

「ワクチンで世界の子どもたちを救う」

そういうフェイクにも

微塵の疑いももたない。

少なくとも物事には全て

メリットとデメリットがあるのに

その点に目をつむり

「自分が善いことをした」

ことにだけフォーカスする。

これを偽善といわず

なんといえば良いのだろうか?

こんな無責任な善を繰り返していると

守っているつもりの大切な人も

実は守れていない可能性があるのです。

信じるべきは

自分が向き合い

確立された確かな世界であり、

誰かに提供され鵜呑みにした

不確かな世界であってはならない。

そこに

向き合う自分、

確かめる自分が

存在しなければ、

世界などいくらでも誤魔化され

何度でも簡単に崩壊する。

信仰と向き合うと

そういうことに

行きあたる。

人間は愚かなので

不思議なほど学ばないのだ。

それは仏様の教えが

約2500年前から伝え続けられている

ことも暗に示していると

私はいつも思う。

ちゃんと賢くなったら

教えも卒業できるはずだからね。

何千年たっても

いつまでも卒業できないのが

われわれ人類なの。

一向に進歩しないのが人類。

その現実と向き合って

初めて次の時代の

一歩は踏めるのではないでしょうか?