とどめておくのってそれはそれで膨大なエネルギーが必要になる。
周りと共有=ぶちまけてしまったほうが楽になるんじゃないだろうか。
海老蔵の会見を見て思いました。
私も小学生の半ばころに父が胃がんで入院したのですが、その時は「具合が悪い」ということしか知らされませんでした。
すごくナーバスになってる母の気持ちがきちんと理解できておらず、「なんでこんなに怒られるの?」とすごく理不尽な気持ちになってた記憶があります。
高校になってから「胃がんだった」と父から教えられ、
「やっぱりそういうことなのか」
と納得すると同時に
「ちゃんと教えてくれたらもっと立ち振る舞い方を考えられたのになぁ」
という後悔的な気持ちも生まれました。
基本的に昔から「優しい」と言われ、
そのおかげで変な人がたくさん寄ってくる私ですが(皆さんのことではないです笑)
父が入院してた時期は、本当の状況を把握していなかったので「優しいヤスノリ君」は全くいなかったように思います。
それどころかおばあちゃんが家事手伝いで滞在してくれてたので、それが楽しくてしょうがなかったくらいですから。アホなので親の心労には気づいていなかったと思います。申し訳ないことに。
だから「分かちあい」って大事なんじやないかなと気付かされました。
この場合は「痛み分け」とも言えるかもしれませんが。
「パンを分かちあえ」というのも
何も食べ物や必要なものだけを人類皆兄弟のなかで共有しましょうと言ってるのではないでしょう。
痛みや苦しみも分かちあうことで、
もっと楽に生きれますよ。
そういうことなんじゃないかな。
1人で抱えきるのが大変なマイナスエネルギーも
例えば家族というコミュニティで分かち合うことで、きっともっといい方向に向かえる。
子供への配慮もあるかもしれないけど、
「よくわからない」のは子供にとっては逆にストレスになるんじゃないかな。もちろんその子にとってのタイミングもあると思いますが。
とどめておくのもエネルギーを使います。
でも分かちあえば消耗は抑えられる。
そしてポジティブな方向にもっとエネルギーを使えます^ ^
#わかちあい
#共有
#感謝