◆火と水の人間関係におけるマリッジブルー
今日は親指スパイラルストレッチを知人に伝授してきたのですが、
「最近同棲を始めたが彼女とうまくいかない」
という話が始まり、「大変そうだな〜」とわたしもストレッチよりそっちばかり気になってしまいました。
彼女は8個下。
ディズニー大好きでディズニーで仕事をしていて、食器(すべてディズニー)などの物は予備がないと不安な溜め込み派。
一方彼氏は「生活用品は最低限あればいいでしょ」のシンプルライフ派。
そして食器のストックの有無でも大げんかになるらしい。
お互いの仕事柄、生活時間帯も違うのでほぼすれ違い状態。
少し話を聞いただけでも随分対極的な2人だなぁと感じたので、生年月日を教えてもらい帰宅後に2人の星を調べてみる。
彼氏は九紫火星で
彼女は一白水星だった。
調べてみるとこの組み合わせは相当特別らしい。
で、こんな感じで彼氏にはお伝えしました。
今日はありがとうございました。
調べてみたところBさん→九紫火星
彼女さん→一白水星
でした。
この記事(http://blog.livedoor.jp/junior24/archives/52540129.html)はなかなか面白いこと言ってるなと思ったのでご参考ください。
お二人は火と水、陰陽の対極にあるので、全く違います。性質的には相入れません、しかしそれゆえに惹かれあうということ。
この対極同士の水と火をつなぐのは木=思い木は象徴で言うと「龍」、立ち昇るエネルギーです。
思いを合わせられる目標が2人をつなぐために必要です(それが結婚なんですかね、、、)
もう一つ五行の進化ルートで言うと水は「自我」、木という思いの鏡(自我の色眼鏡、フィルター的な意味です)を通して、火の「高次の自己」へ進化するというルートがあります。
人が水から火へ進化しようとするときに、その人の成長が不十分だと色眼鏡が未熟なので、木を通して火(自分の高我)をきちんと見ることができず、逆に自分の悪い面(自我)ばかり映ってしまい現実(土)に突き落とされます。
奇遇にもBさんは年齢的にも約ひと回り上で彼女にとってはある意味高我の存在でもある。(水火の対極関係であり、自我高我の対極関係でもある。まさに対極中の対極ですね)
この場合Bさんが火の立場から接しても彼女が自我から抜け出すことはなかなかできないので
彼女が水から火へ進化できるような「木」の役割に、Bさんがまわらないと事がうまく運ばないのだと思います。
Bさんが奥様の「木」という触媒になる必要がある。
陰陽の対極なので反発も起こりますが、かっちりかみあえばお互いを補完しあい、逆に最強の組み合わせにもなりうるってことになります。専門的な知識があるわけではないですが、
わたしが勉強してる範囲ではこんな見解を持ちました。
わかりづらくてすみません。
ちなみに一白水星は今年は星厄で「八方塞がり」の歳。八方が塞がれてるので、逆に守られているとも捉えられるのですが、新しいことなどは失敗しやすい年です。星祓いの厄除けをされたほうがいい年です。
◆対極的だからこそ最強
火と水
この陰陽の対極は人間関係でいえば
全く違うもの同士であり
性質的には全くあわない。
でも違うもの同士だからこそ
惹かれあうものがあり
お互いにないものが相手にある。
火は水を蒸発させ変化させることができるし
水は燃えすぎた火を鎮火させることができる
しっかりかみあえば
お互いに補完しあえるので
最強の組み合わせにもなりうる。
火と水をつなぐのが「木=思い」
じゃあ「木」とはなんなのか?
というところまで昨夜は考えたのだけど
もうひとつ気づいた。
火は水を沸騰させる。
沸騰した水は水蒸気となって立ち昇る
立ち昇る龍=木となる。
水を立ちのぼらせる火とは何なのか。
火とは愛である。
もっと愛を注ぎましょう、
そういうことなのかと。
、、、結局そこなのかと∑(゚Д゚)
結論に至るのでした。
彼は一心に彼女に愛を注ぐしかないようです。
なかなかストイックな修行ですなぁ。
でもその愛の形が彼女に必要な木の形であれば、きっとうまく届くのだと思います。
もう一つ五行の進化ルートでいうと
水は「自我」、木という思いの鏡(自我の色眼鏡、フィルター的な意味です)を通して、火の「高次の自己」へ進化するというルートがあります。
人が水から火へ進化しようとするときに、その人の成長が不十分だと色眼鏡が未熟なので、木を通して火(自分の高我)をきちんと見ることができず、逆に自分の悪い面(自我)ばかり映ってしまい現実(土)に突き落とされます。
奇遇にも彼氏は年齢的にも約ひと回り上で彼女にとってはある意味高我の存在でもある。(水火の対極関係であり、自我高我の対極関係でもある。まさに対極中の対極ですね。すげー組み合わせなんだなぁ、、、)
こんな感じで火と水について考えていたら「この世は不完全なんだ」という最近の気づきが頭をよぎった。
◆この世界は不完全で成り立っている
この世界は不完全から成り立っている。不完全だからこの世界は成り立っている。
例えば人間には必須アミノ酸という
体内で合成できないが、
生命活動に必要な栄養素がいくつかある。
体内で合成できないものがあるからから、
他の命をいただかなければ生きていけない。
なんで自己完結できるような構造にならなかったのか。
生命活動をおこなう構造としては不完全な気もする。
でもちょっと考えてみた。
自己完結できてしまったら
外に求めるものがなくなるので
外への働きかけは何も必要なくなる。
つまり存在ながらにして
外の世界と関わりを持たない
「無」の状態になってしまうのではないか?
私たちは不完全だからこそ
外の世界と関わらなくてはならず
相手を求めて反応しあい
生きていることを実感できる。
だから生きるとは不完全な状態じゃないと
できないことなんだと思う。
不完全だから関係性が発生する。
互いが違いでいい。
それが生きるということ。
だから、できなくていいんですよ笑
なんてね。
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